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白亜の天守「郡上八幡城」へ行こう。

郡上八幡城 とは?

Gujo_hachiman_castle_in_autumn戦国時代には、日本各地に様々な形の城塞が築かれました。

互いに土地を奪い合い、殺し合いを続けていた時代なので、兵の駐屯場所として、或いは出撃拠点として、或いは防衛拠点として、各地に築かれては攻城戦によって破壊、消失を繰り返していました。

そんな中、天下を獲った家康は、各地の諸侯や、それ以外の反乱勢力が拠点として使用することができる城塞の数は、少ない方が良いという考えから、一国一城制を諸侯に強制し、これによって各地に築かれていた多くの城塞が廃城処分となり、歴史の彼方に姿を消すことになりました。

郡上八幡城は、幸いにも遠藤氏の居城として、一国一城制による廃城処分を免れることができました。

その歴史は、戦国時代全体から見れば意外と新しいものです。

西暦1600年の関ヶ原の戦いをもって、戦国時代の終わりと考えた場合、郡上八幡城が建て始められたのは、その約40年程前に過ぎません。

大雑把に言えば、戦国時代の約三分の二が経過した頃に建った城ということになります。

この地は、戦国時代をほぼ終わらせた織田信長が、天下獲りの初期の頃に支配下に置いた美濃の国にあり、以降織田氏に仕えたために、この城が戦場になることはありませんでした。

ところが、本能寺の変の後、主家の織田氏が秀吉に乗っ取られた関係で、当時の城主であった遠藤慶隆は城を追われることになりました。

その後、徳川方について、関ヶ原の戦いで功を挙げ、返り咲いたという経緯があります。
しかし、徳川氏は、大名家の鉢植化を推進していたために、郡上八幡城の主は、その後、井上氏、金森氏、青山氏と変遷し、青山氏の時代に明治維新を迎えることになりました。

郡上八幡城 の魅力

ee69430aec22e71b0d2ab17c7bd7ca1c_s郡上八幡城は、城の分類としては「平山城」に当たります。

城下の経営には不向きでも、防衛には有利な山の上に城塞があるため、天守閣が山の下からでも大変よく見えます。
これは平城にはない醍醐味です。

もともと天守閣は、敵の動きを逸早く察知するための物見の塔としての役割もあったので、天守閣からの下界の眺めは、大変優れています。

現存する天守閣は、白亜の天守として、その美しさを讃えられていますが、残念ながら、白鷺城のように、戦国時代に築城されたものではなく、昭和8年に再建されたものです。

これは、当時の大垣城を参考に再建されたものですが、当の大垣城は、昭和20年の大垣空襲で焼失してしまっているあたりに、歴史の不思議さを感じる方もいるのではないでしょうか。

郡上八幡市内

郡上八幡市内

また、日本は山が多く、そこを流れる小河川も多く、その結果、季節や時間帯によっては、霧や雲も多く発生することから、 山の本体が霧や雲で隠され、白亜の天守閣が、まるで空中に浮かんでいるかのように見えるタイミングもあることから、「天空の城」と呼ばれることもあります。


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さらに、現代ならではの見どころ、或いは演出として、夜間にはライトアップが施されます。

郡上八幡城へは、徒歩でも自動車でも行くことができるため、公共交通機関の運行時間を気にすることなく、城の夜景を楽しむことができるということも、大きな魅力ではないでしょうか。

郡上八幡城の見どころ

caption日本の城塞の歴史には、家康による「一国一城制」と明治新政府による「廃城令」によって、多くの城郭が取り壊されてしまったという歴史があります。

郡上八幡城も、明治3年に石垣だけを残して取り壊されてしまいました。

しかし、合戦での必要は無くとも、地域の象徴となるような建造物が欲しいという要望は全国各地であり、結果、再建された城郭は幾つもあるのですが、郡上八幡城のおもしろいところは、他の再建城郭のように鉄筋コンクリート等で造るのではなく、わざわざまた木造で造ったというところにあります。

新しい時代には、新しい建材や工法に目が向くものですが、一方で古いものには、時間の流れの中でも色褪せないという不思議な魅力があるものです。

コンクリート製の再建天守の中には、完成して時には喜ばれても、時代の変化によって、逆に趣が無いと否定的な見方をされてしまうケースもあるほどです。

昭和8年の時点で、そこまで未来のことを見通していたのかどうかはともかく、他の地域の再建天守とは別の道を選択し、木造で再建したのは、今となってはまさに慧眼と言えるでしょう。

力石

力石

また、郡上八幡城には、「力石伝説」というものがあります。
築城工事には石垣の造営が必要不可欠ですが、当時、約350kgもの大石を、たった一人で運んだ者がいて、その怪力を褒め称えられたものの、無理が祟ったのか、落命してしまいました。

この石は、普請奉行によって使用禁止となったため、石垣の一部として使われずにいたのですが、昭和8年の天守再建の際に見直され現在は八幡城庭園内に安置されています。

アクセス情報

岐阜県郡上市八幡町柳町一の平‎659

●お車をご利用の場合
東海北陸自動車道「郡上八幡インターチェンジ」から約7分(MAP

●岐阜バスをご利用の場合
岐阜バス高速八幡線「城下町プラザ下車」徒歩15分

●長良川鉄道をご利用の場合
長良川鉄道「郡上八幡駅下車」まめバス「城下町プラザ下車」徒歩15分または、タクシーで15分

●営業時間/3~5月、9~10月|9:00~17:00、6~8月|8:00~18:00、11~2月|9:00~16:30

●休み/12月20日~1月10日

●料金/大人310円、小人150円(2015年10月現在)

●公式サイトURL: http://www.gujohachiman.com/siro/


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