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京都に息づく幕末ゆかりの史跡「寺田屋事件」「大黒寺」「伏見薩摩藩邸」

京都に息づく幕末ゆかりの史跡

京都・伏見の史跡は、魅力的な地域です。

京阪電車京都線・近鉄電車奈良線共に「丹波橋駅」を下車して、伏見の酒蔵を見ながら史跡めぐりを楽しめます。

京都・伏見、その地に息づく幕末のエピソードは数多くあります。

京都に息づく幕末ゆかりの史跡紹介を、エピソードをまじへてご案内していきたいと思います。

「寺田屋事件」

寺田屋は当時の京都・大阪間の交通の重要ポイント、伏見にありました。

船着場、寺田屋の浜はいつも乗り降りの客で賑わっていました。

お登勢は、寺田屋の主人、寺田屋伊助は道楽者で、ほとんど仕事をせずに死んだため、嫁のお登勢が切り盛りしていた。お登勢は娘二人を育て、五人の孤児を養育し、志士たちにも援助を惜しまない、義侠心の強い人でした。

寺田屋

寺田屋

寺田屋は、薩摩藩の常宿となっていた。文久2年4月23日、寺田屋に30余名の侍が集まりまた。

島津藩主の父久光が1000人の兵を率いて京都へ上洛したのを機会に、京都で倒幕のクーデターを起こそうと計画した薩摩藩急進派と、真木和泉ら諸藩士や公家の急進派ばかりです。

久光は公武合体論の慎重派。急進派の説得は無理と判断して、上意討ちの刺客として、急進派の奈良原喜八郎ら9人を寺田屋に送った。

結局、説得は失敗に終わり、田中謙助が斬られ、薩摩藩急進派のリーダー有馬新七は道島五郎兵衛と幾度か剣を合わせるうちに有馬の刀が折れた。瞬間、有馬は道島に飛びつき壁に押し付けて叫んだ「オイごと刺せ!」。それを合図に急進派橋口吉之丞は必死で刺しました。同じ盟友、有馬は道島は共に即死。

ほとんどが同輩、同志の親友ばかりが主君の命で殺しあわなければならなかった悲劇ででした。

この寺田屋事件は、時間にすればほんの10分ほどであったが薩摩示現流同士の戦いは壮絶でした。

斬られた有馬新七ら8人と京都で死んだ同志1人を加え9人が伏見・大黒寺に葬られている。

寺田屋は今も見学や宿泊も可能です。歴史の舞台で一夜過ごすのも面白いかも。

京都市伏見区南浜町

「大黒寺」

京阪電車「丹波橋駅」を西に出て南へ、下板橋通りを西に向かうと。伏見薩摩藩屋敷跡のひとつ手前で南に折れると大黒寺があります。

元は長福寺といいましたが、元和元年島津義弘の守り本尊「出世大黒天」にちなみ大黒天を本尊とした大黒寺と改名しました。通称、薩摩寺とよばれ、薩摩屋敷に近く縁の深い寺です。

大黒寺 九烈士の墓

大黒寺 九烈士の墓

文久2年4月23日の寺田屋事件で亡くなった9烈士のお墓がここにあります。墓碑名は西郷が泣きながら書いたといわれています。

大黒寺門前の道を斜めに向いた側へ渡ると小さな門があります。

松林院墓地です。

松林院自体は材木町にありますが、そこは松林院御陵をお守りする寺であり、墓地は別に離れてこの地にあります。

くぐり戸から中に入り、墓所に続く石畳が切れたところを左手、寺田屋の墓が三基並んでいます。


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その一番左、もっとも古い五輪塔には正面に4人の名前が刻まれています。左から2番目「喜導院妙持信女」、これが寺田屋のお登勢の戒名です。

お登勢の墓

お登勢の墓

大黒寺の前も道をまっすぐ南へ700メートル、幕末回廊龍馬通りと名付けられた商店街もあります。坂本龍馬関連のお土産グッズも沢山販売されています。

(大黒寺:京都市伏見区鷹匠町

(松林院墓地:京都市伏見区鷹匠町

「伏見薩摩藩邸」

京阪電車「丹波橋駅」。下板橋通りを西に向かうと小さな橋になる。その橋を渡ったところに薩摩藩伏見屋敷がしました。現在、松山酒造の工場あたり。

慶応2年1月23日、寺田屋で伏見奉行所の幕吏に襲われた坂本龍馬と三吉慎蔵は、捕り方の隙をちうて裏階段から外に逃げる。

5町ほど走ったが、龍馬は役人の刀を銃で受け止めた際の傷が深かく貧血状態でした。
やっとも思いで材木置き場に隠れたところで龍馬は動けなくなった。「もはやここまでか、運命は天が決める」龍馬は三吉を薩摩藩屋敷へ走らせました。

龍馬と三吉が寺田屋を脱出した直後、お龍も寺田屋から飛び出して一目散に薩摩藩屋敷に駆け込み、急を知らせました。

伏見薩摩藩屋敷跡碑

伏見薩摩藩屋敷跡碑

お龍の知らせを受けて薩摩藩屋敷で安否を気づかっているところに三吉が駆け込んできました。

三吉からの知らせで、留守居役の大山彦八は直ぐに門を閉めて、幕吏が来ても絶対に開けるなと命じ、薩摩の船印を立てた船を出して、みずから龍馬救出に向かいました。

大山に助けられた龍馬は三吉と共に薩摩藩屋敷で傷の手当を受け、翌日、西郷は英国式歩兵一個小隊で、お龍と3人を伏見から京都の薩摩藩屋敷まで迎えました。

(伏見薩摩藩屋敷跡碑:京都市伏見区東堺町

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