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うちのお寺「真宗大谷派」(浄土真宗本願寺派と少し違う)の基礎知。

御影堂門

御影堂門

うちのお寺は真宗大谷派。と知ったのは、恥ずかしながら、祖父が無くなったときに参られたご住職に聞いた時からで、それまでは、お寺は本願寺とは知っていたが、お東さんもお西さんも同じだと思っていた。

しかし、少し違うようです。お葬式や法要など、いざとなると大事なのが、先祖代々から長きに続くお寺さんとのお付き合いです。恥ずかしくないようにしなければ。

核家族が進む現代、うちのお寺は「何宗」なんて知らない人が多くなってきました。今直ぐには必要が無いかもしれませんが、お盆のお参りなどに来られるご住職に、一度お聞いて、少し基礎知識を頭の片隅に入れておくことが大切かと思います。

そこで、うちのお寺、真宗大谷派の基礎を調べてみました。

浄土真宗の本尊

本尊とは信仰のよりどころとなる仏さまのことで、浄土真宗は派を問わずすべて阿弥陀仏一仏です。

本尊の形態は、木像と絵像と名号があります。

本尊としての名号には「南無阿弥陀仏」のの六字名号ほか「南無不可思議光如来」の九字名号、「帰命尽十方無碍光如来」の十字名号などがあります。

真宗寺院のほとんどが木像だが、門信徒の家庭のお内仏(仏壇)は、大部分が絵像か名号を本尊とされています。

本尊は、阿弥陀仏の智慧と慈悲の心を仰ぐために礼拝の対象となっています。

「南無阿弥陀仏」とは

インドのことばで「阿弥陀」は限りない命(無量寿)と、はかりしれない光明(無量光)をあらわします。また「南無」には「頼りにする、帰依する、信ずる」といった意味があることから「南無阿弥陀仏」とは「無限の命と光明をそなえた仏さま、あなたを信じ、頼りにします」という意味になります。

阿弥陀仏は阿弥陀如来ともいうが「如来」とは「真如(心理)の世界から救うために来てくださる」という意味です。

浄土真宗の経典

浄土宗の流れにある諸宗派と同じく、浄土三部経(「仏説無量寿経」「仏説観無量寿経」「仏説阿弥陀経」)を根本経典とします。中でも「仏説無量寿経」は親鸞が「真実の教えはこの経典である」と位置づけ、浄土真宗では最も重要なものとされています。

「仏説無量寿経」では、衆生を救わずにおかないという阿弥陀仏の48の誓い(本願)が説かれいます。

中でも18番目はその根本をあらわすもので「念仏往生の願」とも呼ばれ阿弥陀仏の誓いを信じ、念仏を唱える信心の人となったならば、生あるうちに必ず浄土へ生まれることができるとしています。

「仏説観無量寿経」は「王舎城の悲劇」といわれる物語を中心に、お釈迦様が悩み苦しむ人間にとって念仏が大切であると説いています。

「仏説阿弥陀経」には、極楽浄土の壮麗な様子が描かれ「浄土に生まれるたねに阿弥陀仏の名号を一心不乱にとなえよ」と念仏の行のすすめ、さらに諸仏たちが念仏による救いの正しさを証明していると説いています。

他宗との違い

自力より他力を重視/自分の心や自分の修する前根を積んで浄土へ往生しようとするのは、しょせん限りある自力の念仏です。

それに対して、阿弥陀仏の衆生えお救わずにおれないという本願力を疑うことなく信じ、感謝の心とともにとなえることを他力の念仏といます。浄土真宗では、この他力念仏を重視しています。

在家仏教を貫く/親鸞は肉食妻帯して悲僧非俗の立場を貫き、出家・在家にかかわりなく、阿弥陀仏の本願を信じれば救われるとして、在家仏教を確立しました。

戒名ではなく法名/浄土真宗では戒名とはいわず、法名といいます。また本来、位牌を用いる習慣が無く、過去帳や法名軸をかけます。

焼香の作法/抹香をつまんで香炉に入れるとき、額の位置で”香をいただく”という動作はしません。また、線香は折って横にねかせてそなえます。

念珠は礼拝の法具/念珠(数珠)は阿弥陀仏を礼拝するときの法具であり、念仏の回数を数えるために玉をくったり、すりあわせて音を出したりしません。

その他、般若心経を読まない。施餓鬼を行わず、お盆に死者の霊を迎える精霊棚を安置する習慣が無い。

塔婆供養を行わない。堂舎の特徴として、本尊を安置する内陣より参詣者を収容する外陣が広くなっているケースが多い。これは、浄土真宗が念仏道場を中心に発展したことによります。

お釈迦様を仏壇にまつらない

仏教の始祖であるお釈迦さまは、対機説法といって、聞く人に応じて教えを説きました。
そのため仏教には8万4千の法門があるといわれます。

浄土真宗では、お釈迦さまが説いた阿弥陀仏の救いをがよりどころとしているので本尊は阿弥陀仏をまつります。これは同時にお釈迦さまをまっっていることでもあります。

浄土真宗は、いくつに分かれるのか

真宗十派といわれる十派が真宗教団連合を結成しています。

それらは親鸞の血縁の本願寺ゆかりの派と、親鸞の高弟を中心にする門徒集団の流れをくむ派とからになります。

本願寺は、覚如(親鸞の末娘覚信尼の孫)が親鸞の祖廟を寺院化したもので、自らの血縁と法派を合わせ、本願寺留守職として代々これを相承していくこととしました。

この流にあるのが、京都の大谷派と本願寺派の二派です。それぞれ「お東さん」「お西さん」の呼び名で親しまれています。

その他、高弟ゆかりんの門徒集団として8派あります。

なお、宗派の名称に「浄土真宗」と冠するのは本願寺派だけで、他は「真宗○○派」といいます。

真宗十派の本山

真宗大谷派 真宗本廟(東本願寺)(京都市下京区)

浄土真宗本願寺派 本願寺(西本願寺)(京都市下京区)

真宗高田派 専修寺(三重県津市)

真宗佛光寺派 佛光寺(京都市下京区)

真宗興正派 興正寺(京都市下京区)

真宗三門徒派 専照寺(福井県福井市)

真宗誠照寺派 誠照寺(福井県鯖江市)

真宗三元派 證誠寺(福井県鯖江市)

真宗出雲路派  毫摂寺(福井県武生市)

真宗木辺派 錦織寺(滋賀県野洲市)

本願寺派と大谷派の違い

御影堂

御影堂

阿弥陀堂

阿弥陀堂

もともと教義的に分派したわけではないが、両派にはさまざまな違いがあります。

両派の違いはお内仏(仏壇)の荘厳の仕方を見ればわかります。

亀の背中に乗った鶴が口に蓮軸をくわえた姿の鶴亀燭台(ろうそく立)があれば大谷派。
これに対して、本願寺派では銅に漆塗りの宣徳製の燭台が用いられます。

また、焼香の回数も大谷派では二回、本願寺派では一回と決められています。

本山の伽藍配置も、御影堂と阿弥陀堂の位置関係が逆になっています。大谷派では阿弥陀堂が左です。さらに、堂内の外側の柱が大谷派は丸、本願寺派は角、畳の敷き方も大谷派は縦、本願寺派は横になっています。

このほか、門首(大谷派)と門主(本願寺派)、御文(大谷派)と御文章(本願寺派)など呼び方が違います。僧侶の法衣も大谷派では禅衣の直綴が採用され本願寺派と色が違ったり、正信偈をはじめ読誦するお経は同じだが節回しがに違いがあります。

戒名ではなく法名

浄土真宗では「戒名」とわ言わず「法名」といいます。


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出家して仏教徒になるときに、仏・法・僧に帰依して「殺生をしない」など五つの戒め(三帰五戒)の遵守を誓う。

これを受戒といいます。しかし浄土真宗では、人々は阿弥陀仏の本願のはたらきによって救われるとするため「戒め」という考えの必要がなく、したがって戒名はないということです。

法名は二文字でその上に「釈」を付け、「釈○○」とします。

「釈」とはお釈迦様の弟子であることを示しています。なお女性の場合は「釈尼○○」と「尼」の字を入れる場合もあります。

他宗のように、居士・大姉・信士・信女などの位号はつけないのが本来です。

お内仏(仏壇)のまつり方

大谷派では、仏壇のことを「お内仏」と呼び慣わしています。これは「家庭内における仏堂」という意味に由来します。

お内仏(仏壇)を、亡くなった人をまつったり供養したりするものと考えると、家庭に亡くなった人がいなければお内仏は不要となってしまいます。

お内仏は、むしろ生きている私たちにとって日々の生活の中心となるもので、私たちを導く阿弥陀如来の慈悲にあう場所であると考えられています。

本尊のまつりかた

真宗の本尊は、阿弥陀如来です。その阿弥陀如来の絵像を本尊とします。

そして脇掛は、向かって右に「帰命尽十方無碍光如来(きみょうじんじっぽうむげこうにょらい)」の十字名号を、左に「南無不可思議光如来(まもふかしぎこうにょらい)」の九字名号を掛けます。

また、脇掛には右に親鸞聖人、左に蓮如上人の御影をかけることもあります。

お内仏の上段中央に本尊を、その両側に脇掛を掛けます。

これは本山からお受けすることになっているので、所属のお寺の住職に取り次いでもらいます。

本尊

荘厳(おかざり)のしかた

仏壇の荘厳(おかざり)のしかたは、法要の種類によって違ってくるので、住職に相談するほうが良いです。

真宗では、位牌を用いる習慣がなく、故人の法名は法名軸に記入し、本尊に向かうように仏壇の左右の側面にかけておきます。

代々の法名は過去帳に記入してもいいです。。

過去帳は礼拝の対象ではないので上段や中央に置かないようにします。

位牌を用いないのは、その故人の霊が宿っているのではないかという、あやまった観念を抱き、真宗の絶対他力の教えを曇らせるおそれがあるという理由からで、祖先や故人を大事にしないことではありません。

また、他宗派の絵像やお札、お守りなどは入れないようにしましょう。

大谷派では通常の荘厳の場合、前卓(③)には中央に香炉、左に花瓶、右に燭台を三具足の配置にして置く。これがもっとも基本的な仏具です。

上段の本尊の前に上卓(②)がついているお内仏には、中央に焼香を行うための火舎香炉、その手前に香盒、火舎香炉の奥に仏供(仏飯)、左右に華瓶一対をそなえます。

なお、お内仏が小さいときは、仏器台を本尊の前に置き、その上に仏供をそなえ、仏器台の前に火舎香炉を置きます。

お内仏の手前の和讃卓(④)には、あれば和讃箱を置きます。ここには日常用いる勤行本以外のものは置きません。

「御文」を納めた御文章箱があれば左下に置き、リンは右下に置きます。

仏壇

また、近年は住宅事情から省スペースの仏壇を求める家庭が増えました。

荘厳の趣旨は、阿弥陀如来のまことの心をかたちを通して味わうことにあります。

したがって、本尊を中心に安置し、三具足(花瓶、香炉、燭台)を配置するだけでも、最小限の荘厳は整います。

三具足

勤行の心

真宗では、阿弥陀如来の本願をいただき念仏生活に生きていく人を「門徒」といいます。

いくら立派なお内仏があっても、いつもその扉が閉まっているようでしたら意味がありません。

真宗の門徒であれば、朝夕のおつとめ(勤行)は仏徳讃嘆(阿弥陀如来の徳をささえること)と報恩感謝の行いです。

合掌の心

仏を礼拝するもっとも基本的な作法が合掌です。

阿弥陀如来へのあいさつも合掌ではじまり合掌でおわります。合掌はもともとインドに伝わる礼拝で、仏教徒の礼拝の方法として定着しました。インドでは左手は不浄で、右手は浄であると考えられ、つまり、左手は迷いの世界で、右手は悟りの世界ということで、その両手を合わせる姿こそ、仏に帰依し、仏に救われていく姿であるといわれています。

正しい合掌は、両手を胸の中央で自然に合わせ、そのときに力まずに背筋をまっすぐに伸ばすと良いです。

合掌のしかた

両手を胸の前で自然に合わせ、念珠をかけます。

指先はまっすぐに伸ばし、指と指の間にすきまをつくらないようにぴったるとあわせます。

横から見ると、指の線は体の線に対して約45度上方に伸びている形になります。

宗派によっては合掌の形で上体を傾けてお礼する動作を礼拝と呼んでいますが、大谷派では、合掌したままで礼をしません。

合掌のあとに合掌をといてから軽く頭を下げて礼(頭礼)をします。

お寺の行事や法要などには、僧侶がかける輪袈裟に相当する肩衣をかけるといいです。

念珠のかけかた

念珠は数珠ともいい、仏前に礼拝するときには欠かせない法具です。

真宗の門徒として何よりも大切なのは、形でなく信心です。

蓮如上人は「念珠をもたないでは、仏を手づかみにしたようだ」と説いています。

真宗での正しい念珠のかけかたは、合掌のときは念珠を両手にかけます。

二輪の念珠は、二つの親玉を左右の親指ではさんでかけます。手に持つときは左手、おつとめのときは左手首にかけておきます。

念珠

焼香・線香の作法

おつとめの前には、必ず香炉に燃香します。

真宗では線香は立てることはせず、1~2本を香炉の大きさに応じた長さに折って火をつけ、火のついたほうを左にして、灰の上に横に置きます。

焼香

葬儀や法要での焼香は、念珠を左手に持って焼香する尊前に進み、香を右手につまんで香炉にいれます。

焼香の回数は2回。そのとき、香を額におしいただくことはしません。

それから両手に念珠をかけて合掌し、最後に一礼します。

焼香の前に合掌したり、リンをならすことはしません。

(出典:うちのお寺は真言宗/双葉社)

いかがでしょうか。真宗大谷派の一般的な基礎知識です。
同じ、真宗大谷派でも地域・地方によっては若干違う部分はあると思います。
その場合は、お近くのご住職にご確認ください。

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