仙北平野の北端。広々とした田園の彼方に、奥羽山脈の連なりも見える。
JR秋田内陸線、ローカル線の旅でのどかな景色を満喫するうち、列車は角館駅へ到着した。
白壁の土蔵をイメージした駅舎が印象的だ。
駅前から10分ほど歩けば武家屋敷のある旧城下町。点在する名所も、歩いてまわれる範囲内にあるという。そんな小ぢんまりとまとまった町並みは、角館の魅力のひとつといえるかもしれない。
武家屋敷通りは380年前の姿そのまま
駅前からまっすぐ歩き松庵寺の前で左へ曲がると、田町武家屋敷通り。さらに歩いて、町役場のある「火除け」の北側にゆったりとした武家屋敷通りがある。
広々とした6間(11M)の道には武家屋敷の黒板塀が続く。それぞれの屋敷の庭には木々がうっそうと茂り、桜、新緑、紅葉、雪と、四季折々に目を楽しませてくれるという。
武家屋敷のなかには館内を開放していて見学できる家も多い。
角館の武家屋敷のなかでも長い歴史をもっ「河原田家」の屋敷は書院造りの表座敷が印象的。今は秋、渋い風情の屋敷が紅葉に染まる様がなんとも美しい。そして、この眺め・・・380年前からほとんど変わることがなかったと思えば、感慨もひとしおである。
さて、ここで角館の歴史を簡単にガイドしよう。
時代は関ヶ原の戦のころまでさかのぼる。合戦後の大名の配置替えによって、佐竹義宣が秋田へ転封となった折、佐竹氏に従って秋田へやってきた芦名義勝に角館周辺の一万五千石を分け与えた。
芦名氏はかつて会津を支配した奥州の名族であるが、伊達政宗に敗れて領地を失い佐竹氏の保護下にあった。佐竹義宣は角館の地で名族を復活させることにしたのだ。
これに感激した芦名義勝は、情熱をもって城下町の建設にあたった。その後、芦名氏は3代で断絶してしまうが、角館は佐竹一門の佐竹義隣の所領となって明治維新を迎える。
武士の時代は終わっても、武家町と商人の町に分かれた町割は、そのまま残り、今に至ったのである。
武家屋敷のある通りから「火除け」を越えて南へ歩くと、風景は一変する。
渋い黒板塀の通りから、白壁の土蔵へ・・ここは商家が並ぶ町人のエリア。
店蔵と呼ばれる蔵造りの店舗は、角館ならではのものだ。
藩政時代、町では殖産興業が叫ばれ、工芸の技が育った。とくにこの地で産する山桜の樹皮を使って茶筒や文箱、装身具などを作る樺細工は、角館の名産品として知られている。
武家町の一角にある角館町樺細工伝承館では、樺細工の展示・販売、その製作実演などを見学できる。
春は桜の花色に包まれて、秋は紅葉の赤染まるの角館
武家町、商人町などをひと通り歩いてみると、散策向きの町であることが実感できる。
歩くうち、やがて町並みは途切れて、桧木内川の清流が目に入ってくる。この川沿いの堤防上の道の両側には、約2kmにわたって昭和9年に植えられたソメイヨシノの並木が続く。毎年4月下旬~5月上旬の開花期は、それはみごとな「桜のトンネル」となる国指定の名勝だ。武家屋敷通りの樹齢300年になる400本あまりの枝垂桜とともに、春の角館は新旧桜の競演。花名所の面白躍如である。
光沢が魅力の樺細工
角館の「樺細工」は、藩政時代に下級武士の内職として始まった歴史をもっ伝統工芸。山桜の木肌(樹皮)を手作業で磨いて加工する。昧のある光沢が人気。内職の武士たちは、印籠(江戸時代に薬などを入れたアクセサリー的携帯小箱)や胴乱(腰に下げる方形の入れもの)作りが主だったが、今では、茶筒、茶托など日用雑器を中心に、アクセサリ一、インテリアなど幅広い製品が作られている。
アクセス:JR秋田内陸線角館駅下車/秋田自動車道大曲ICより約40分
問い合わせ先:角館観光協会(http://kakunodate-kanko.jp/)
ガイドマップ:http://kakunodate-kanko.jp/image/sab/map/2014-map1.pdf
<「角館」を歩くモテルコース>
●角館駅→①樺細工伝承館→②石黒家→③青柳家→④松本家→⑤岩橋家→⑥河原田家→⑦小田野家→⑧田町武家屋敷通り
<味・土産>
●豆腐、がっこ(漬物)、きりたんぽ、なると餅、桜がゆ、樺細工、イタヤ細工、白岩焼、角館焼ほか