見渡すかぎりの広大な田園地帯、豊かさを感じさせる景色のなかをゆく。
さすが「加賀百万石」を支えた沃野といったところか。
この金沢平野の、ほぼ中央に町はある。
2つの川に守られた「百万石」の城下町
北陸新幹線の開通でにぎわう金沢も、小京都の代表格である。
浅野川と犀川、2つの流れを天然の外堀とした金沢城、ここに藩祖・前田利家が入城したのは豊臣政権下の天正日年(1583)のこと。
町のはじまりはそれ以前で、16世紀半ばに北陸を支配した一向宗徒の信仰の拠点となる金沢御堂ができてからである。
織田信長によって一向宗勢力が制圧された後、配下の武将・佐久間盛政により、御堂跡に「金沢城」が築かれた。
しかしすべてはその後、「百万石文化」と呼ばれる金沢の発展は、初代前田利家公入城から廃藩までの約290年間、前田家による統治を経なければならない。
現在の金沢のもとは前田家よりはじまった・・・ということで、やはり、旅のはじまりも加賀前田藩の中心だった金沢城からということにする。
そそり立つ石垣は壮観。さすがに「百万石」といった感じだが、その象徴となるべき天守閣はない。かつては5層の壮大な天守閣があったが、慶長7年(1602)に落雷で焼失して以来、再建はきれなかったという。
日本有数の大大名とはいえ外様、幕府への遠慮もあったのだろう。しかし、石川門や菱櫓など、城の遺構も現存し、城跡の散策はそれなりに楽しい。
また、日本3大庭園のひとつである「兼六園」も、城に面する傾斜地に築庭されたもので、これも金沢城の一部といえる。
北陸の自然と城下町の伝統が文化を育んだ
城の北側、JR金沢駅からのびる大通りは藩政時代からの繁華街。
江戸や大阪、京都に匹敵する町人文化が花開いた場所でもある。
百万石通りと交差する一帯には「近江町市場」がある。店先には、加賀野菜、新鮮な北陸の海の幸など、時代を越えて変わらぬ品々が豊富に並ぶ。
これが加賀料理の食材となる。素材のうまみを存分に引き出した伝統料理の数々。金沢は食文化の町でもある。
食文化といえば、金沢の町には「森八」、「諸江屋」など、古い老舗の和菓子屋も多い。尾張町には、「菓子文化会館(菓子文化ミュlジアム愛菓)」もあり、昔の菓子木型や季節の和菓子など、菓子にまつわる資料を多数展示している。
「百万石」の栄華を伝える洗練された工芸品の数々
金沢の文化は、食べることばかりではない。290年続いた平和と栄華のなかで、金沢の人々は絢欄たる美の世界を熟成させていた。
金沢漆器、九谷焼、加賀友禅、加賀繍、金沢仏壇、金沢箔などの国指定伝統的工芸品が受け継がれる。
特に金沢箔は全国シェアの98%を占めており、1万分の1ミリという薄さに伸ばす技術は熟練の職人ならではのものである。
最近では食器やインテリア小物などにも使われており、お土産にもぴったりだ。
加賀藩前田家が京都から招いた職人によりはじまった漆工芸も金沢を代表する工芸である。
武家好みの清楚な品位と加賀蒔絵の華麗さで知られている。
華やかな色彩の加賀友禅や繊細な加賀繍は、多くの女性に愛されている。
和菓子と金沢野菜
金沢は京都に並ぶ和菓子どころ。
藩政時代から「茶の湯」が盛んで、武士から町人まで、みなが茶をたしなんだ。
その茶請として発達し、洗練されたのが和菓子。
金沢では、しっかりと暮らしに根づいて、贈りものに、お祝いに、おもてなしに和菓子は欠かせない。
色や形もさまざまなものが創作され、伝統的な銘菓とともに新しい和菓子が生まれている。
この町を言方れたならぜひ、日未わってみたし、。
最近注目されている金沢の「食」は野菜。昔から栽培されているこの地ならではの野菜のなかから「打木赤皮かぼちゃJ」「源助だいこん」「加賀太きゅうり」「加賀れんこん」「加賀つるまめ」など15品目を選んで「加賀野菜」なるブランドがつくられた。
ほかの地域ではなかなかお目にかかれない、金沢ならではの野菜。
伝統の加賀料理の素材に使われるのはもちろん、土産品としても人気だ。
加賀野菜情報:http://www.kanazawa-kagayasai.com/
(石川県金沢市)
アクセス:JR北陸金沢駅下車/北陸自動車道金沢東・西インターチェンジ
問い合わせ先:金沢旅物語 http://www.kanazawa-kankoukyoukai.or.jp/