2016年NHK大河ドラマ「真田丸」のヒロイン、真田幸村は戦国武将として名高い武将ファンの間でもとても人気の高いヒーローです。旗印である六文銭はあまりにも有名です。
そんな真田幸村の歴史と触れ合える場所を旅してみるのも素敵です。
真田親子といえば九度山、「真田庵」(和歌山県)は外せません。
九度山、真田庵は和歌山県伊都郡九度山町に建てられたお寺で、ここはかつて真田親子の屋敷があった場所でした。
関ヶ原の合戦で敗れた際に高野山に蟄居を命じられ、麓のこの場所で生活を始めたのだといわれています。
父の真田昌幸は蟄居中の1611年に亡くなりました。そのため、幸村は父の供養のために宝篋印塔を建てましたが、そこへやってきた上人が本尊にここに寺を建てよとお告げを受け、九度山、真田庵が建てられたと伝わっています。
真田庵は善名称院という名があります。春には美しい牡丹の花を見ることができますし、城郭風の本堂の八棟造も有名。
真田祭りが同じ頃に開催されて武者行列のゴールとなっています。
また、境内にある父の昌幸を祀った真田地主大権現も訪れてみると良いでしょう。
真田幸村、真田丸、抜け穴の跡「三光神社」(大阪)
父が亡くなった翌年には出家した幸村でしたが、1614年、徳川氏と豊臣氏の仲が悪化したことをきっかけに豊臣氏の呼びかけに応じ、かつての旧臣達と共に大阪城へと入城しました。
大阪城、冬・夏の陣と真田幸村の軍は皆が揃いの赤い鎧を身につけていたといわれており、真田の赤備えといわれるほどの精鋭部隊となっていました。
この戦いで知っておくべきは大阪、真田丸(三光神社)です。
真田丸は幸村が大阪冬の陣において大阪城の平野口に構築した曲輪です。
大阪城は当事南方だけが防御が手薄であったため、平野口に独立した出城を築いて守備を固めました。その成果は大きなもので、徳川方の兵が攻めてきた時に見事に打ち破ったのです。
しかし大阪、真田丸(三光神社)は冬の陣が終結した後で和議の条件の一つとして取り壊されてしまいます。
現在その大阪、真田丸(三光神社)があったとされる場所には大阪城へと通じていたといわれる抜け穴の跡が残されています。
真田幸村の決死の地「安居天神」(大阪)
そして最強武将の1人と謳われた真田幸村も大阪夏の陣で戦死してしまいました。
彼が傷つきながらも逃れ、そして戦死した場所といわれているのが大阪、安居天神です。
大阪、安居天神は安井神社や安居天満宮とも呼ばれています。
大阪、安居天神の創建がいつかは謎のままですが、少彦名神を祀る神社です。
942年からは菅原道真も祀られるようになったともいわれています。
安居天神の境内内には幸村戦死跡の碑があります。またさなだ松と呼ばれている松があり、幸村はこの場所へと逃れてきた時にこの松に寄りかかって疲れきった体を休めていたといわれています。
現在はすでに枯れてしまっていますが、こちらにはかつて七名水として名をはせた安居の清水がありました。
かんしずめの井の址として残されていますので足を運んでみるのも良いでしょう。
日本100名城。信州、上田城(長野県)
また真田親子といえば忘れてはならないのが上田城です。
この上田城は父の昌幸が1583年に築城しました。
当時は尼ヶ淵城とも呼ばれていました。
2度にわたる徳川氏の攻めを撃退したことでも有名です。
上田城は現在は上田城跡公園となっており、桜の名所として花見の季節には多くの人々が訪れます。
本丸跡には歴代城主を祀った松平神社がありますから訪れてみるといいです。
こちらの神社は現在は真田神社の愛称で呼ばれていますが、境内の古井戸はかつて城外への抜け道になっていたという伝説が残っています。
三の丸があった藩主居館跡にも松平氏の時代に造られた屋敷門や堀が残されています。
こちらの場所は高校の敷地となっていますので、門も学校の正門として利用されています。
2006年には日本100名城に選ばれています。
(長野県上田市)
長野県、和歌山県、大阪府とめぐりますが、一度訪れてはいかがでしょうか。
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