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そこが知りたい仏事Q&A(浄土宗)

浄土宗総本山知恩院三門

私たちの日常生活の中には、仏教各宗派で行われる儀礼や習俗に起源のある言葉や作法が沢山あります。

何かの時、思わず手と手を合わせるのもその一つでしょう。

でも、正しい合掌の仕方をどのくらいの人が知っているでしょうか。

一昔前までは、仏事の習慣やその意味がおじいちゃんやおばあちゃんから孫たちに自然に伝えられたものですが、今は、それが中々受け継がれることが難しいようです。

そんな中、お坊さんに訊ねたり、おじいちゃんやおばあちゃんに訊ねたりして教えて貰った事柄や知っていて欲しいことを、調べて書いてみました。

うちのお寺は「浄土宗」の基礎知識とともに、暮らしのヒントになればと思います。

浄土宗は法然上人を宗祖とする宗派で、阿弥陀仏を本尊としてその本願を信じ、称名念仏によって極楽浄土に往生することを願うものです。

1.浄土宗と浄土真宗のお念仏には違いがあるのですか

あります。

浄土宗と浄土真宗とはともに「南無阿弥陀仏」とお念仏を称えることを大切にしていますが、両者の阿弥陀仏や極楽浄土、お念仏の捉え方は大きく異なります。

浄土宗の宗祖法然上人は「浄土三部経」の説示内容やそこに明かされる阿弥陀仏の本願をそのままで真実の教えと受けとめます。

浄土真宗の宗祖親驚聖人は、それらを真実と方便に分け、阿弥陀仏は、方便として説かれた内容を通じて、私たちを真実の教えに導こうとしていると捉えました。

その結果、浄土宗では、お念仏を称えて、迷いの世界を繰り返す輪廻を離れ、真実の世界である西方極楽浄土への往生を願い、そこで先立たれた大切な方との再会(倶会一処(くえいっしょ))を果たし、さとりを開き成仏を遂げることを目指します。

それに対して浄土真宗では、私たちの生きるこの世界にも遍くおよび続けている救いの働きこそ、阿弥陀仏そのものであり、すでに私たちは救われている存在で、そのことに気付くことこそ大切である。お念仏はそうした働きに感謝することと捉えるのです。

2.浄土宗では『般若心経』を読まない。

浄土宗では食事をいただく作法や祈願法要で、あるいは他宗派の僧侶とお経をあげる際に『般若心経』を読みます。

『般若心経』は正式な題を『摩詞般若波羅蜜多心経(まかはんにやはらみったしんぎよう)』といい、これは大いなる智慧の完成についての核心ということを意味し、短い経典のなかに大切な教えを示しています。

しかし、浄土宗で最も大切にするお経は、宗祖の法然上人が「浄土三部経」と定めた『無量寿経(むりょうじゅきょう)』『観無量寿経(かんむりょうじゅきょう)』『阿弥陀経(あみだきょう)』の三つの経典です。

そして、そこに説かれる教えのなかでも『南無阿弥陀仏』というお念仏を称えて、阿弥陀仏がいらっしゃる極楽浄土に往生することを大切にします。

でも、『般若心経』やその他の多くの経典もお釈迦さまが説いた経典として受けとえています。

ですから、『般若心経』もまたお釈迦さまが説いた大切な経典であり、それを読むことや写経することも仏教への信仰心を深めることとしてよいことだと考えます。

それと共に、浄土宗では南無阿弥陀仏のお念仏をしっかりお称えすることが肝心です。

3.浄土宗でいう他力とは努力を否定することですか

法然上人は法による「きとりの仏教」から仏による「救いの仏教」へと仏教の転換を図られました。私たちは、裟婆において自らの力によって煩悩を断じてきとりを得ることが不可能な凡夫であるという深い自己認識に立たれ、阿弥陀さまにお救いいただくしかないことを見出されて浄土宗を開宗したのです。

浄土宗で説く他力というのは、あくまでも阿弥陀さまの本願力のことであり救済力のことです。したがって他力(他力本願)というのは世間でいわれるような「棚からぼた餅」とか「楽をして何かを得る」という意味ではないことご理解ください。

浄土宗において私たちに求められるのは、凡夫の自覚であり、自らの力によって煩悩を断じることができるという騎りを捨て去ることなのです。このことは、日常生活における精進努力を否定するものではありませんが、一方で精進努力によって成し遂げられないことがたくさんあるという現実認識も必要不可欠なものなのです。

4.彼岸とは

お彼岸は春分の日、秋分の日を『中日』としてそれぞれ一週間営まれる仏教行事です。

彼岸とはさとりの世界のことでサンスクリット語の「パーラミター」(「到彼岸」と訳されます)に由来し、浄土宗では特に阿弥陀仏がいらっしゃる西方極楽浄土のことを意味します。

現在の仏教行事として行われている春秋の彼岸は、日本独自のものです。

浄土宗で大切にする『観無量寿経』には、西に沈む夕日を見て阿弥陀仏の西方極楽浄土を思い浮かべる日想観(にっそうかん)という修行が説かれています。

この修行について、浄土宗で高祖と仰がれる中国唐代の善導大師が、太陽が真西に沈む春分、秋分が修行に適した時期であると述べられており、この時期の修行を大切にします。

真西に沈みゆく太陽のはるか先にある西方極楽浄土、そしてそこに往生された先祖の方々に思いをはせ、南無阿弥陀仏のお念仏を称えて、自身も西方極楽浄土への往生を願い、それを実践する修行期間が浄土宗にとつての彼岸です。

5.おせがきとは

おせがきとは施餓鬼会(せがきえ)、施食会(せじきえ)ともいわれ、各宗派で行われる仏教行事です。おせがきでは、餓鬼に施すだけでなく、先祖代々や有縁無縁の精霊を供養し、そして自身の円満幸福を願います。

おせがきの由来は、お釈迦さまの十大弟子の一人である阿難尊者(あなんそんじゃ)に遡ります。阿難尊者が瞑想している時、恐ろしい餓鬼がみらわれ「お前は三日後に死に餓鬼道に堕ちる」と告げました。

驚いた阿難尊者がお釈迦さまに相談したところ、「三宝(仏・法・僧)を供養し、餓鬼たちに食物を施しなさい。その功徳により餓鬼も救われ、汝も救われるだろう」とお答えになりました。これが、施餓鬼会のはじまりとされています。

浄土宗では、餓鬼道で苦しむ者を供養し、その功徳を浄土におられる先祖に回向すると考えます。

6.お盆とは

お盆は、元々は孟蘭盆(うらぼん)といい、「救倒懸(くとうけん)」と訳されます。逆さ吊りの苦から救うとの意味です。

『孟蘭盆経』によれば、お釈迦さまの弟子で神通力が最も勝れた目連尊者は、その力によって、餓鬼道に堕ちた亡き母を発見したとあります。

餓鬼道は、生前の嫉妬(人の幸せを喜べないこと)と慳貪(けんどん)(物惜しみと貪り)の業により堕ちる境涯で、受ける報いは、飢えと渇きの苦しみです。それはあたかも生涯を逆さ吊りにされて過ごすような苦であることから冒頭の「倒懸」の言葉で表現されたものでしょう。

目連尊者は飢えた母の苦を救うべく、飲食を与えますが、何故か口に入る前に炎となり食べさせることができまぜん。困り果てた目連尊者がお釈迦さまから示されたのが、雨安居(うあんご)(雨季三カ月の間、堂に籠って修行する期間)の最終日(旧暦7月15日)に集まった多くの僧にご馳走を供養して回向していただくという方法でした。結果、母は天に生じました。

この時お釈迦さまは、毎年のこの日に、今の両親と過去七世の父母のために修行僧に供養し、ご恩に報いよと勧めておられます。これがの先祖供養の原点です。

7.お盆を迎えるために、どんな準備をすればいいの

お盆の設えは地方の習俗によりさまざまですが、一例を挙げると、まず仏壇と別に精霊棚を設けて真菰(まこも)のむしろを敷き、この上にご先祖方のお位牌を移し、前に香炉・お灯明・お花を供えます。可能なら棚の四方に笹竹を立ててしめ縄を巡らし、鬼灯(ほうずき)や大角豆(ささげ)などを吊り下げておきます。

お盆独特のお供えに「水の子」があります。胡瓜・茄子を細かく刻んで洗米と混ぜ、水に浸した物で、これを蓮の葉に載せて供えます。また蓮の葉に浄水(閼伽水(あかみず))を載せ、束ねたミソハギを添えておくと、お坊さんがお棚経の時、この水でお供物のお清めをしてくださいます。蓮の葉が与えられた水を独り占めしようとせず、美しい玉にして惜し気もなく手放してしまう姿は布施行の良き手本です。

胡瓜の馬は少しでも早いお里帰りを望む「お迎えの心」を、茄子の牛はゆっくり帰ってほしいと名残りを惜しむ「お送りの心」を表します。

8.お盆には、ご先祖さまが帰ってくるの

「孟蘭盆経』によると、お釈迦さまのお弟子のに日連尊者は神通力で、生前の業によって餓鬼道に堕ちて苦しむ亡き母の姿に遇い、救いの法をお釈迦さまからご教示いただきました。

この時お釈迦さまは、以後毎年のこの時(旧暦七月十五日)に、現世の父母のみならず、過去七世(かこしちせ)の父母のために供養し、長養慈愛の恩に報いよとおっしゃいました。

今日一般的に行われている行事としては、七月、または月遅れの八月の十三日から十六日までの間、ご先祖さま方を自宅にお迎えして供養することをいいます。

『孟蘭盆経』には、「過去七世の父母」とありますから、現世での両親だけでなく、前世やそのまた前世での父母にも思いを向け、供養を手向けます。

もちろんお念仏を称えてさしあげることに勝る功徳はありません。

『孟蘭盆経』には「祖先が帰る」とは説かれていませんが、お念仏申し、極楽浄土に往生された方々は、阿弥陀さまのご本願によって神通力を具えられた菩薩さまですので、お盆に限らずいつでも帰って来られます。

また私たちの姿を見、言葉を聞き、心根を汲み取る力さえも身につげておられます。お盆が、ご先祖さまをご供養する大切な機会である考えてください。

9.お塔婆について

塔婆とは卒塔婆(そとうば)の略称でサンスクリット語で仏塔を意味するストゥーパ(Stupa))の音を漢字で表したものです。

もともとはお釈迦さまの遺骨を納めた鰻頭型の仏舎利塔がその由来、といわれています。

お寺の墓地や霊園に行くと、板状の木材で作られたものがお墓に供えられているのを目にすることがあるかもしれません。これを板塔婆といいます。

このほか、柱状の角塔婆と呼ばれるものもあります。現在では年忌法要や、彼岸会、施餓鬼会などの際、ご先祖さまの追善供養のためにお墓に建てます。

塔婆の上部は、宝珠・半円・三角・円・四角の形に切り出されており、それぞれ空・風・火・水・地の五つを意味しています。これらは五大と呼ばれ、この五つの要素によって世界は構成されているといわれています。

塔婆のおもてには、五大を表す焚字や経文、供養をしたい人の戒名を書き、裏面には、建立の年月日や施主の名前を書くことが一般的です。

また、浄土宗では名号(南無阿弥陀仏の文字)を塔婆に書くことが多くあります。

10.葬式を行ってはいけない日

一般的には友引の日には葬儀を行ってはいけないとされています。ただし、友引の日に通夜を行うのは差し支えありません。

暦注である六曜(先勝、友引、先負、仏滅、大安、赤口)の一つで、「この日に葬儀を行うと友を引く(死んでしまう)」という言い伝えがあり火葬場が休みである場合が多いようです。

しかしこの風習は地域によって異なります。例えば北海道の一部では友引でも葬儀を行いますし、山梨県の一部では「友引でも通常の葬儀の時聞とずらして行えば大丈夫」とされています。

法然上人は「八専の日にはお寺に参詣しないものというのは本当ですか」という質問に対して「お答えします。そうしたことはありません。

いつなんどきであろうとも、参詣する者の祈りに仏さまが耳を傾げてくださらないことなど、どうしてありましょうか」(『百四十五箇条問答』)と仏さまに祈りを捧げるのに相応しくない日などないとお答えになっています。

とはいえ、私たちは地域の人々との「縁」のなかで生きているわけですから「基本的には地域の習慣に従うけれども、気にしすぎない」という心の持ちようが大切なのではないでしょうか。

11.葬儀と告別式の違い

葬儀と告別式は違うものです。葬儀は「葬儀式」ともいい、僧侶が勤める儀式のことを指します。一方告別式は、参列者が亡き人に対して別れを告げ、喪主が参列者に挨拶する式のことを指します。

参列者が亡き人に対して別れを告げる方法は、仏教式では焼香にあたり、無宗教式では献花が多いようです。

現在では、葬儀で僧侶が読経をしている最中に参列者が焼香をするという形式が一般的ですが、これは葬儀式と告別式という異なる式が同時進行をしていることになります。

地域によっては葬儀式と告別式とを時聞を分けて行うところもあり、例えば沖縄県ではまず僧侶が読経を行い、それが終わり退堂した後に参列者の焼香が始まります。

なお告別式のはじまりは1910年(明治34)中江兆民(なかえちょうみん)に対して行われたのが最初とされ、彼は遺言で「宗教的な葬儀など行わずに、そのまま荼毘に付してくれ」といい残し、その遺言通り茶毘に付されました。

その後、彼を慕う人々が彼を偲ぶための無宗教葬を行ったのが告別式の始まりとされています。

12.戒名(法名)とはなに

戒名(法号)とは、戒を授けてもらった人が仏さまのお弟子となった証に頂くお名前のことです。


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本来は、仏教徒、となるために、仏さま(仏)・そのみ教え(法)・み教えを奉じて出家した人々(僧)に帰依をする儀式を受けることで、生前に戒名(法号)を授けてもらうことが望ましいのですが、生前戒名(法号)を頂いていない方には亡くなった後、枕経や通夜などに際しこれらの儀式を行い、葬儀にあたり戒名(法号)を授けています。

また、浄土真宗では授戒作法がないため法名と称し、受戒者の戒名とは区別をしています。

浄土宗の戒名(法号)の多くは、誉号が付されているという特徴があります。この誉号とは、戒名(法号)中に〇誉とされているもので、これは、念仏の信者には誉号が与えられるという、唐の善導大師の『観経疏』散善義に示されている「五種の嘉誉」に基づいています。

また、篤信の方で寺門功労者には院号がおくられる場合もあります。

戒名(法号)の最後には、信士・信女、居士・大姉、禅定門・禅定尼などの区別があります。信士・信女は仏教に帰依し三帰五戒を受けた人に授げられ、居士・大姉は在俗の仏弟子であり、有名な維摩居士のように、仏教の篤信者に用いられることが多いようです。

また禅定門・禅定尼は禅定の門すなわち仏門に帰入した男女で五重相伝を受けた方に授けられることもあります。

子供の場合には、孩子・孩女、童子・童女、嬰子・嬰女を年齢に応じてつけ、死産の場合には水子・水女をつけることもあります。

13.御霊前と御仏前の違い

「御霊前」や「御仏前」は、主に通夜・葬儀・仏事の際に客人から施主へと渡す袋に記入されます。

一般的には49日までは「御霊前」で49日以降は「御仏前」と書くといわれているようです。

浄土宗の通夜や葬儀は、極楽往生する方をお送りするための儀式です。

その時点で、お亡くなりになった方は往生する人、往生された人、すなわち「往生人」であり、これから仏になろうというお方なのです。

その意味からいえば「御仏前」は用いず、「御霊前」ということになります。

浄土宗で「仏前」とは、寺院のご本尊に向げた表現として用いられます。

例えば、他寺院を訪問するときには、そのご寺院のご本尊に対して「御本尊(仏の意味)前」と袋に記します。

浄土宗で「御仏前」と書く場合は、極楽浄土の主である阿弥陀仏に対して、故人のことをどうぞよろしくお願いいたしますという意味で、記入することになるでしょう。

「御霊前」は故人に対して、「御仏前」は阿弥陀仏に対してというように、書き分けます。

また、浄土宗の僧侶が弔問に訪れる際は、仏事に必要となるお香の御代としてお使いくださいという意味で、「御香資」と記します。一般で使われる「香典」の意味です。

14.僧侶のお礼の表書きは何を書いたらいいの

「御布施」がいいでしょう。「御経料」や「供養料」と書くことも間違いではありませんが「料金」を頂戴するサービス業ではありませんから、お礼の気持ちを込めてお寺に寄付するという意味で「御布施」がよろしいかと思います。

これはお通夜やお葬式、49日や回忌の法要、お盆のお棚経などでも同じです。袋の上半分に「御布施」、下半分に施主の名前、もしくは〇〇家と書きます。

ただ、御塔婆をお願いした場合など本来は「御布施」ですが、区別するために「御塔婆料」などと書くと分かりやすいでしょう。

渡すタイミングはお寺にもよりますが御布施を阿弥陀さまの前にお供えして法要を勤めることが多いので、法要の前に持参したお位牌などと一緒に「本日はよろしくお願いします」という意味でお渡しするとよろしいかと思います。

15.御布施はどのようにお渡ししたらよいですか

御布施は、のし袋に「御布施」と上書きをしその下に施主の名前を書きます。

お寺での法事であれば、施主からご住職に挨拶をする際にお渡しください。

直接手渡すのではなく、袱紗から取り出してその上にのせる、あるいは小さなお盆にのせてお渡しするのが丁寧な作法です。

もしもお寺ではない場所に僧侶を招いて行う場合は、僧侶がお帰りの際に「御車代」などを別に包んでお渡しすることが多いようです。

金額についての決まりはないですが、実際に地域などによって、ある程度の基準があると思いますので、日頃から菩提寺のご住職、僧侶とのおつきあいのなかで、直接おたずねするのもいいかと思います。

よく上書きに「御経料」「回向科」などと記す方がいますが、これは適切ではありません。

御布施は本来、財施(金品を施すこと)・法施(読経や法話を施すこと)・無畏施(むいせ)(畏れを取り除くことの三つを指すのですが、僧侶が施主に「法施」をするのに対し施主は僧侶に「財施」をするという関係なのであって、読経という行為が金銭に換算されるということでありません。

16.永代供養とは

永代祠堂経(えいたいしどうきょう)ともいいます。先祖または亡き人のために、祥月命日または毎月の忌日、あるいは春秋の彼岸会・施餓鬼会などに永代にわたつて菩提寺で読経して回向をしてもらうことをいいます。

施主が亡くなっても、また子孫が絶えて無縁になっても、さらに住職の代が変わっても、お寺が続く限り回向をし続ける供養法です。

お寺によっては、永代位牌を本堂に安置し、命日の日に回向するために月牌帳に戒名などを記して、毎日回向することもあります。

これまでは、家族、または親族が祭祀を継承し、お墓を代々守るということが一般的でした。

しかし、それができないので、継承を前提としないお墓が増えています。また、菩提寺へ生前戒名と自身の死後の「永代供養」を申し込む人が増えています。

近年、墓所の継承者が完全にいない場合は、墓所を管理する寺院など第三者に責任をもって管理と供養を委ねるための「永代供養墓」などと称する形式があります。

このお墓の埋葬形式には個別のものと合祀墓(合葬)とがあり、供養の方法にも何回忌までという期限付きのものもあります。契約する時にはよくご相談ください。

17.お墓には、どのようなときにお参りすればいいの

亡き方のご命日や、お正月・お彼岸・お盆などの季節が一般的です。

ちなみに、亡くなられた日と同月同日を「祥月命日」と呼び、毎月の同日を「月命日」といいます。

また、進学や結婚といった人生の節目にお墓へお参りされるのもよいでしょう。

お世話になった亡き方やご先祖さまに報告し、感謝の気持ちを捧げます。

亡き方を身近に感じながらお話しをしたいとき、いつでも会いに行くという感じでお参りされてはいかがでしょうか。

必ずまた極楽浄土でお会いで、さることを確信し、お念仏を称えさせていただきましょう。

お墓は、亡き方のご遺体やご遺骨を埋葬する供養塔です。

またご遺骨はなくとも、遠いご先祖の皆さまとの絆を結ぶ大切な場所です。

核家族化や個人の自由が加速する現在、あらためて家族の絆や命のつながりを実感できる場所でもあるのです。

18.年忌は、亡くなった何年後に行うの

年忌は亡き方のご命日にお勤めする法事です。

亡くなった翌年のご命日にお勤めする法事を一周忌といいます。そして二年目のご命日には三回忌をお勤めします。

これは、三回忌以降は「数え年」を用い、亡くなられたその年を「一」と数えるためです。亡き方が極楽浄土にお生まれになって、尊い仏道修行者(菩薩さま)として歳を重ねる様子をご想像ください。

法事を通じて、亡き方や多くのご先祖さま、そして阿弥陀さまの見守りとお導きをありがたく実感したいものです。

その後は、三と七の年に法事をお勤めします。つまり六年目の七回忌、十二年目の十三回忌、そして十七回忌、二十三回忌、二十七回忌、三十三回忌、三十七回忌、四十三回忌、四十七回忌、五十回忌と続き、以降は五十年ごとに勤めるものとされています。

また、地方によっては勤めない回忌もあります。多くの家では三十三回忌の後、三十七・四十三・四十七回忌を略して五十回忌を勤めます。

孫の代となって、なお亡き方のご恩を忘れずに感謝の心を捧げるためといわれています。

19.仏前には、どのようなお花を供えたらいいですか

花を捧げることは、釈尊の故事や経典のなかにも多く見られ、花は仏前、霊前に捧げるものとして欠かせないものとなっています。

供花として用いる場合、とくにこの花をお供えしなくてはならないというようなものはないですが、毒のあるもの、臭いの強いもの、悪臭のするもの、色の悪いもの、刺のあるものなどは供養しないとされています。

ただし、樒は毒がありますが、葉を青蓮華にたとえて枝葉を花としてお供えします。また枯れやすい花、散りやすい花も避けるとよいでしょう。

故人を思う気持ちをお花に託すわけですから、霊前に捧げる場合は故人が好きだった花などは、先に挙げたような禁忌(きんき)とされている花(例えばバラなじ) であってもお供えしてもよいのではないでしょうか。

お花屋きんで組み合わぜたものや、生け花と同じように時節の花を色合い、バランスを整え、花瓶に生けお供えします。

お供えした花が枯れていつまでもそのままになっていることのないようにしましょう。

20.朝食はパンなのですが、お仏飯はどうしたらいいの

仏前にお供えする米飯を仏飯、仏餉(ぶつしょう)といい、盛る器を仏器、仏飯器といいます。

仏飯は本尊前、霊前にお供えする場合は霊膳として、飯椀(ご飯)、汁椀(吸い物)、平(煮物)、壷(なます)、高杯(香の物)を懸盤膳または宗和膳を用いて午前中にお供えし、一汁三菜の肉や魚などを用いない精進料理とするのが本義であります。

しかし家庭の仏壇にお供えする場合は仏飯器と茶器を用いるのが一般的になると思います。

仏飯は丁重には別釜で炊くとされていますが、普通はご家庭で朝食用、として炊いた飯から、まず仏飯を取って仏飯器に盛り、茶器と共に添え物がある場合は精進のものを添えればよいでしょう。

朝食がパンの場合、精進料理とはいえませんが、パンをちぎって仏飯器に盛りお供えすればよいでしょう。ただし、あくまで精進料理が基本ですから、パンと一緒に食されることの多いベーコンやハムなどのおかず、魚などは避けるべきです。

21.除夜の鐘

「除」という字には、旧年を押しのけて新年を迎える、という意昧があります。
それで、一年の最後の日である大時日つまり十二月三十一日の、夜のことを除夜と呼ぶのです。

除夜には多くの寺院で除夜の鐘をや撞きます。浄土宗の総本山知恩院の除夜の鐘は、十七人の僧が力を合わせて大梵鐘を撞くことで有名です。

参詣者に順番に鐘をひとつずつ撞いてもらう寺院もあります。除夜の鐘の数は煩悩の数、百八つです。

除夜に鐘を撞いて、煩悩を払って、清らかに新年を迎えたいと多くの人が願います。

しかし、残念ながら、鐘を撞いたくらいではなくならないのが人間の煩悩です。浄土宗をお開きになった法然上人はおっしゃいます。

煩悩は影のようなものだから、振り払おうとしても振り払えるものではない、と。

たとえ煩悩をなくすことはできなくても、除夜には一年の行いを反省して、煩悩について考え、自分の欲深さを自覚し、少しでもよい人になって新しい年を迎えたいと考える機会にしたいものです。

22.「御朱印」の本当。

一般的には「御朱印」と言いますが、本当は「御納経(ごのうきょう)」といます。

納経とはお参りした時に写経をお寺に納めることです。

写経を奉納すれば功徳が得られると考えられていますから、納経した証明として、寺院より「宝印」をもらい、その宝印を集めて綴り帳にしたものが「納経帳」です。

この宝印が朱色ですので「御朱印」ともいます。

宝印は宝珠(ほうじゅ)形のなかにご本尊の梵字を記した印です。

今では、参拝者が御仏に読経したか、または寺院に参拝した証明として、ご本尊の宝印を頂けるようになりました。

この宝印はご本尊の分身を頂くことと同じ功徳がありますので、「お守り」として感謝を込めて大切にしてください。

決して観光記念のスタンプラリーではありません。

納経帳には、本尊の名号と奉拝年月日と寺院名などを墨書きされます。

そして、ご本尊の宝印または三宝印などの朱印を押していただけます。

二回以上納経する時は、墨書をしないで朱印のみ押すこともあり、これを重ね印といいます。

地域によっては納経帳を持っている方が亡くなった時には、納経帳を棺のなかに納めて、極楽往生を念じる風習があります。

または、親しい人と参拝した思い出を大切に、仏壇に納めておくこともいいでしょう。

(出典:仏事Q&A 浄土宗/国書刊行会)

いかがでしょうか。そこが知りたい仏事Q&A(浄土宗)。

同じ「浄土宗」であっても浄土宗各派や地方・地域によっては若干違う部分はあると思います。

その場合は、お近くの菩提寺にご確認ください。

関連ページ/うちのお寺は「浄土宗」です。そこで浄土宗の基礎知識を調べました。

関連ページ/そこが知りたい仏事Q&A(曹洞宗)

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