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そこが知りたい仏事Q&A(曹洞宗)

大本山 永平寺

私たちの日常生活の中には、仏教各宗派で行われる儀礼や習俗に起源のある言葉や作法が沢山あります。

たとえば、大人数の家族の中での生活や、地域のつながりや行事などを通して、自然に学び伝えられてきたことも、社会状況の変化から、今ではそうした機会がなくなってきているともいわれます。また、仏事などの当事者になって初めでとうすればよいか困ってしまて、誰に行けばいいのかもわからないときがあります。

一昔前までは、仏事の習慣やその意味がおじいちゃんやおばあちゃんから孫たちに自然に伝えられたものですが、今は、それが中々受け継がれることが難しいようです。

そんな中、お坊さんに訊ねたり、おじいちゃんやおばあちゃんに訊ねたりして教えて貰った事柄や知っていて欲しいことを、調べて書いてみました。

うちのお寺は「曹洞宗」の基礎知識とともに、暮らしのヒントになればと思います。

曹洞宗の教えや行事、修行などについて知識を深めていただき、葬儀や日々のご供養などについても困ったときの助げになるものと思います。
一般的に曹洞宗の教えを示すものといえば、「坐禅」があげられます。そんな坐禅の意味なんかも参考にしてください。

曹洞宗は、お釈迦さまの教えが、道元禅師さまにより日本に伝えられ、瑩山(けいざん)禅師さまや祖師方により広められ、今日、私たちの暮らしのなかに智慧や実践として引き継がれてきています。

坐禅すれば、ご利益があるのですか

坐禅を始めてみようと思う動機として、さまざまな「ご利益」を期待することは決して悪いことではありません。しかし曹洞宗の坐禅の本義としては、「名聞利養(みようもんりょう)」を目指して行うべきものではありません。坐禅は仏としての行いなのです。

道元禅師さまは、『学道用心集』の中で〈それ仏法修行はなお自身のためにせず、況や名聞利養のためにこれを修せんや。ただ仏法のためにこれを修すべきなり〉と述べておられます。

仏法の修業は「我」的な自己の充足のためや、世俗的な名声や利益の獲得のためにするものではなく、仏法それ自体のためになされるものである、と説いています。さらに言い換えれば、「坐禅は坐禅のためにする」ということになるでしょう。要するに、坐禅をするときは、坐禅をすること自体を目的として、それ以外の余計な目的を持つてはならない、ということになります。

それでは坐禅をしても何も得られないのかというと、そうではありません。『正法眼蔵随聞記(しようぼうげんぞうずいもんき)』には、「仏法のために仏法を学ぶ」ということについて、〈仏法のおきてに任せて行じゆきて、私曲を存する〉ことなかれ。・・・心にねがいてもとむる事無ければ、即ち大安楽也〉と述べておられます。「ご利益」を求める気持ちを捨てて、ただ坐禅することだけに徹するとき、そこには自ずと大いなる心の安らぎが得られるのです。

「御朱印」とは

「御朱印」とは、神社仏閣を参拝された方に対して授与される、台紙に押印された朱色の印影のことを言います。一般的には、僧侶や神職が台紙に墨書で寺社名や参拝日などを記した上で押印します。

御朱印の台紙にはさまざまな種類があります。折本や和綴じのかたちにした、帳面状のものを「御朱印帳」などと呼びます。

寺院の御朱印は、もともとは自らが書写した経典をお寺に納めた証しとして授与されたものでした。御朱印は「納経印」とも呼ばれますが、その所以はここにあります。それが後に、納経せずに寺院をお参りしただけの方にも広く授与されるようになりました。

いずれにせよ、御朱印とは、仏さまに敬虔な気持ちで手をあわせ、仏さまと結縁したことの証しであり、「お守り」のように大切にすべきものです。

昨今では、参拝もせず、御朱印だけをスタンプラリーのようにして集める方がおられるようです。信仰の有無やその行動は人それぞれですから、そのことを否定はいたしません。しかしながら、自らの行動が、宗教の伝統的なしきたりや、人々の信仰心に対する理解を欠いたものになってはいないか、立ち止まって考えてみる、あるいは本来の主旨を理解して、一つひとつの参拝をより意味あるものにしていく心の余裕をもって欲しいものです。

曹洞宗の坐禅の特徴は何ですか

曹洞宗では、坐禅を悟りをひらく手段とは位置づけていません。坐禅(修)と悟り(証)は不可分で一体のものであり(修証一等)、悟りとは別の坐禅はないこと(証上の修)を説きます。

『弁道話(べんどうわ)』に、〈この法は、人々の分上にゆたかにそなわれりといえども、いまだ修せざるにはあらわれず、証せざるにはうることなし〉と説かれています。

私たちはそもそも仏さまの悟りを十分にそなえているといっても、それは坐禅をしなげれば現れることはなく、これを現に証明して(悟って)みなければ、意味をなさない、というのがこの言葉の趣意です。

曹洞宗の坐禅とは、このように自己に本来そなわっている仏さまの悟りを顕在化し現実化する行為であると言えます。

『正法眼蔵随聞記(しようぽうげんぞうずいもん)』に〈坐はすなわち仏行なり、坐は即ち不為なり。是れ即ち自己の正体なり〉とあります。

坐禅している時の、整え正された身と心のありかた全体のそのままが、一切の思い計らいを超えた、仏さまの悟りが現れている姿であり、自己の正体そのものである、と説かれています。
坐禅が《仏さまの悟り=自己の正体》そのものとして円満しているのですから、坐禅している時にはそれ以外の何かを付け足す必要はありません。

坐禅をしている時は坐禅のみに徹すべきということに」なります。そのことは「只管打坐(しかんたざ)(砥管打坐)」という言葉で端的に表現されます。

ご祈祷とは何?

「祈鵡」とは、仏・菩薩や神々のご加護を仰いで、私たちのさまざまな除災招福(じょさいしょうふく)の願いが成就するように祈ることを言います。一般的にはその法要のことを言います。

曹洞宗の祈薦法要では、多くの場合『大般若波羅蜜多経(だいはんにゃみったきょう)』という、600巻(約500万字)の大部なお経を、複数の僧侶が分担して「転読」というかたちで唱えます。この祈祷儀礼は「大般若祈祷会」などとよばれています。

転読とは、お経の全文を声に出して読誦するのではなく、折本のお経を扇の形のようにしながらパタパタと翻(いるがえ)してゆくことで、すべて唱えたことに代える方法です。折本を翻す時に、「転読文(てんどくもん)」を唱えます。これは、この長いお経に説かれている教えを短く要約した言葉です。

折本を翻すと風が生まれ、災いのもとが取り除かれます。

大般若祈藤会では『大般若波羅蜜多経』転読の前後に別の経典も読誦されます。

法要の最後に「回向文(えこうもん)」が唱えられます。回向文では、経典読誦の功徳を仏・菩薩や神々にふりむけて、そのご加護を仰ぎつつ、除災招福が祈願されます。

葬儀を行ってはいけない日ってあるの?

「お日柄(ひがら)」という言葉がありますよね。「本日はお日柄も良く」とか「日が悪いからやめておこう」とか耳にします。

曹洞宗の教えのなかでは「日々是好日(にちにちこれこうじつ)」とうい禅語示すように、生きている一日一日をすべて佳き日ととらえ、生きていくことを説いています。

そうして教えからすれば、葬儀を行ってはいけない日はないわけですが、社会全般では、葬儀に際し「友引」の日は避けるとうい習慣が一般化されていますし、現実には火葬場もお休みにしているため、この日は葬儀は行えないことも多くあると思います。

地方によっては、十二支の「子(ね)」と「丑(うし)」の日、または「寅」の日は葬儀を避ける習慣のところもあります。暦の中には「大安」や「仏滅」「友引」など「六曜」や、「十干(じゅうかん)十二支」「三隣亡(さんりんぼう)」など吉凶を示すものが書かれています。曹洞宗では、そうした六曜や三隣亡などは、暦上の占いであり迷信だと考えます。

しかし、各地方で古くから日々の生活上での知恵、習わしとして定着していることも事実です。

このように古くから生活に根付いている暦を、きちんと理解した上で、社会の慣習として従っていく必要があるでしょう。そして、むやみに振り回されないようにも心がけたいものです。

戒名とは何ですか?

戒名とは、仏教に帰依し仏弟子になられた方に授かられるお名前です。仏の弟子になる際に、まもるべき教え(戒)を師から授けられます。その時に新たな名前(戒名)も与えられます。

曹洞宗では、三帰戒(さんきかい)・三聚浄戒(さんじゅじょうかい)・十重禁戒(じゅうじゅうきんかい)の、合わせて16の条戒を授かることにより、仏の弟子となります。

曹洞宗では大本山や各地の寺院にて「受戒会」を開き多くの檀信徒に参加していただき、仏さまとのご縁を結んでいただくよう勧めています。その時、弟子としてもお名前(戒名)もお授けし、お釈迦さまから連綿と続く系統を記した「血脈」も授けています。

このように本来は、仏弟子になるには、生前に儀式を受けていただくことが前提となります。しかし、生前にその機会を得られなかった故人に対しては、葬儀に際して戒を授けて仏弟子とし、仏の世界へとお送りします。

葬儀において故人に対して、これから仏の弟子として歩んでゆく上での心構えとして戒を授けます。仏・法・僧の三宝に深く帰依し、慎み深く仏の道を歩んでゆくにあたり、戒名がそのよりどころとなっていきます。

僧侶へのお礼の表書きは、何と書いたらいいの?

葬儀に際して僧侶や寺院に対してお渡しする包みには「御布施(おふせ)」と書きます。

布施とは元来、仏道修行の6つの実践(六波羅蜜)の一つです。布施には金品を施す「財施」、相手の不安を取り除く「無畏施(むいせ)」、仏の教えを施す「法施」の三種類があり、葬儀の際には、檀信徒は財施を行い、僧侶は法施と無畏施を行うことになります。

布施という仏の教えに適った修行を行うことにより、私たちは功徳を積むことができます。その功徳が供養によって今は亡き故人に向けられるのです。そうした意味で、お布施は亡き人への思いを形にしたものと考えることができます。

御布施の包み方は、正式には半紙で包んで仏事用の熨斗を付けますが、市販の熨斗袋や無地の袋などでもかまいません。その場合も紙幣を直にいれることなく、半紙などに包んでから入れるとよいでしょう。

表書きの下には喪主名を書きます。また、渡し方についても配慮を心がけたいものです。葬儀を滞りなくつとめていただいた感謝の思いを込めてのお布施であり、菩提寺のご本尊さまへのお礼ともなりますので、礼を尽くしてお渡しいただきたいと思います。

「御布施」は、葬儀執行への対価や料金ではないので「お経料」「戒名代」などの呼称は、本来の意味から外れることを理解してください。

曹洞宗の葬儀ではどのようなことを行いますか?

葬儀は仏教に限らず古来より人類共通に営まれてきています。
さまざまな宗教においても亡き人の冥福を祈り、遺された人々の喪失感を癒す営みが繰り返されてきました。

こうした葬儀への思いを根底に持ちつつ、曹洞宗の葬儀においては、故人に仏戒を授け、仏弟子になっていただき、ともに仏道を歩む仲間としてお送りする意味があります。

まず。剃髪の偈を唱え、導師がお剃刀を当てて髪を剃り、故人を仏さまの弟子の姿にさせるという儀式を行います。

次に受戒に先立ち懺悔文を唱えさせ、仏弟子としてに新たなスタート地点に立ってもらいます。その上で仏弟子として守るべき三帰戒(さんきかい)・三聚浄戒(さんじゅじょうかい)・十重禁戒(じゅうじゅうきんかい)の、十六条戒を授けて仏門に入らせます。

そして仏弟子となったお名前として「戒名」が授けられ、それを証明する「血脈」も授けられます。血脈は戒法(戒律の法)がお釈迦さまから脈々と私たちまで伝えられてきたことを示すものです。

こうして仏弟子となった故人をお送りするのです。儀式の最後に唱えあっれる引導法語(いんどうほうご)によって、故人の遺徳を讃えながら仏法の真意を述べ、これによって仏の道へと導くのです。

曹洞宗の葬儀では、亡き人を仏弟子にしています。その旅立ちが安らかなるように願い、遺された人々の悲しみをやわらげ、哀惜の思いに寄り添っていく厳粛な式といえます。

年回供養はどのように行えばいいの?

年回供養は故人の祥月命日、またはお逮夜(前夜)に営みます。しかし諸事情により都合がつかない場合は、祥月命日にあたる日より前に行うのがよいとされます。

日取りの候補を決め、まずは菩提寺に連絡し日程を調整してください。施主家の都合のよい日であっても、寺院では諸行事が予定されている場合があるからです。

本来、人びとがお釈迦さまのみ教えを学び、出会えたことに感謝して、お釈迦さまへ休息所をしつらえ、飲食などの供物でもてなすことを指していました。

これらを行うことにより大いなる功徳を得られるとされてきました。こうした功徳を亡き人に廻らしむけることから供養の意味が展開してきました。その供養を法事と言うこともあります。

したがって供養とは、施主が仏さまに飲食や花、お香を供え、卒塔婆を建立し、ご住職とともに読経することによって、善根(善い行い)の功徳を積むことにあります。

その善い行いによる功徳を廻らしむけることにより、ご先祖さまや故人、さらに、ての人びとの安寧を祈り、あわせて、自分を含むすべてのものが仏道を成就することを願うものです。

心のこもった供養がとり行われるよう、施主として万全の準備をもって臨めるよう心がけてください。

年回供養は中陰にはじまり、百箇日忌、一周忌、三回忌と続きます。地域によって年回供養の行いかたは異なりますので、必ず菩提寺へご相談ください。

お位牌について

位牌は故人の戒名や没年月日が記されるだけでなく、依り代と考えられています。

従来、位牌は「野位牌」「内位牌」「寺位牌」の三種類があり、祀られる場所が異なります。

野位牌は人が亡くなると作られる白木の簡素なもので、墓前に祀られ朽ち果てるにまかせるとされています。

内位牌は施主家で祀る位牌で本位牌とも呼ばれ、漆塗りの位牌です。寺位牌は寺院に位牌堂がある場合、特別に作った位牌をそこに納め祀って、永年、供養していただきます。

位牌の起源は諸説あって、儒家の習俗から説明されるのが一般的です。

儒家では「位板(いはん)」「木主(ぼくしゅ)」などといって、祖先や両親の存命中の位官・姓名を桑や栗の木に書き、神霊(死者の霊)を宿らせる風習があったといわれます。

宋代にこれを禅僧が中国から日本へもたらし、仏教に転用されていったとされています。

位牌は仏壇のご本尊さまや内部の作りにあわせ、大きさを選択します。また位牌は本来一人ずつ作るものですが、夫婦の場合、一つの位牌に二人の戒名を連ねることもあります。

また先祖位牌が多い場合は、「繰り出し位牌」を用いるか、先祖代々の戒名と命日などを記した精霊簿(過去帳)を用いるとよいでしょう。

法事の時の服装、持ち物

法事に参列するときの服装や持ち物について、曹洞宗では特に定めていませんが、華美でないことを心がけるべきです。またご本尊さまや故人の前に立ち、ご焼香や手をあわせることを考えると、その場にふさわしくない服装が想像できるでしょう。

施主の場合、三回忌くらいまでは礼服を着用します。それ以降は地味な平服でもよいでしょう。お招きする方がたの服装が平服でよい場合は早めにご案内を差し上げてください。

また、招かれた場合は、忌明け(四九日忌)までは、葬儀と同じく礼服にします。一周忌から三回忌は施主の意向を確認して、服装を決めたほうがいいでしょう。

七回忌を過ぎれば、黒のスーツでなくてもよい場合が多くなります。そして、施主も参列者も数珠(念珠)を忘れずに持参しましょう。

【男性】
喪服、ダークスーツ、靴下は黒または紺、グレー。ワイシャツは白の無地。ネクタイは黒。

【女性】
〔洋装〕黒または地味なスlツワンピース。光沢のあるものは避ける。
〔和服〕喪服または色無地に黒の帯。

【子ども】
学生服。大人に準じた服装。

さらには、お辞儀や焼香の時など、長い髪が邪魔にならないように髪型にも気を付けたいものです。また整髪剤や香水、アクセサリーも控えましょう。

各地方により慣習が異なりますので、事前に菩提寺か、親族の年長者に尋ねておく?とよいでしょう。


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お布施とは何?

お布施とは、僧侶や寺院にお渡しするものと考えてしまいますが、そもそもお布施は、慈悲の心をもって、他人に財物などを施し、自分の執着する心をなくしていく行為(修行)のことです。

仏教において、僧侶ばかりでなく在家信者が日々実践していくべき六つの徳目の第一として、この布施は説かれています。

道元禅師さまは「正法眼蔵菩提薩埵四摂法(しょうぼうげんぞうぼだいさったししょうぼう)」の中で<その布施というは不貧(ふとん)なり。不貧というは、むさぼらざるなり>と述べておられます。布施、とは「むさぼらない」ことです。むさぼらないとは、「私のものだと固執しない」ということだと説かれているのです。

そして布施には、財産を施す「財施」、仏教の教え(法)を説く「法施」不安をとりのぞき安心・安穏を与える「無畏施(むいせ)」の三種があります。

これらの布施の行為にはそれを与える人・受ける人・施すものの三つに、何らかの思惑がない状態で行うものとされています。つまり、見返りを期待したりものおしみの心があったりすれば、お布施とはならないのです。

布施の行為は、私たちが悟りに近づくための仏行です。その仏行の功徳を、供養によって今は亡き故人に向けるのです。お布施は亡き人への思いをかたちにしたものと考えることができるでしょう。

道元禅師さまは同書の中で<みずからがちからをわかつなり>と説かれております。実際には、経済的な事情や社会一般的な相場などがあると思いますが、ご自身ができる範囲で布施を行えば、心の安らぎが得られるはずです。

御霊前と御仏前の違い

葬儀や法事の際に、お金をお包みしてお供えするのは、その故人に対しての想いや感謝の気持ち、ほとけの世界での安寧を祈る思いを、形にしたものと言えます。

それは本来、お金ばかりでなく、お花やお菓子、果物、お香など故人が喜ぶ思いのこもった品物でありました。葬儀の時にそうした気持ちを、お香代としての「御香典」、生花の代わりとして「お花代」としてお包みしてきたのです。

お包みの熨斗書きについては、冠婚葬祭のマナーを示した多くの指導書に述べられているとおりですが、各宗教・各宗派によって違いが見られます。

その表書きには、先に示したように相手(故人)に対して贈る品物名などを記す場合と、相手(故人)へ向けられることを記す場合に分かれます。

故人の尊称とその前にお供えするという意味の言葉として、「御霊前」や「御仏前」「御神前」と書かれているのです。

曹洞宗の場合、書き方についての厳密なきまりはありまぜん。般的な社会通例に沿って葬儀の際は法事の際は「御仏「御霊前」前」?と使い分けていただければよいでしょう。

一般的な社会通例に沿って葬儀の際は「御霊前」、法事の際は「御仏前」と使い分けていただければいいでしょう。

お盆を迎えるための準備

ご先祖や身近に亡くなった故人をお迎えする行事がお盆です。大事なお客さまをもてなすように、家のすみずみまで掃除をしてきれいにし、身じたくもあわせて行いお迎えします。お盆のご供養は迎え火に始まり、送り火に終わります。

特に、お盆中は先祖をお迎えするために盆棚(精霊棚)を設け、そこに祖先の位牌を安置し、供物(蓮の葉に塞の目に切ったナスや洗米、水など)をお供えします。

またキュウリナスで作った牛馬を供えます。牛馬は先祖が行き帰りに用いるといわれています。盆棚を設げない家でも、仏壇を清掃し、お迎えしましょう。

またお盆中、僧侶に来ていただき読経をしてもらうことを棚経(たなぎょう)といいます。菩提寺に棚経の依頼をし、来られる日程や時間などを聞いておくとよいでしょう。

新盆の場合、親族や友人を招き精進料理や故人の好物でもてなし、故人の供養を丁重に行うところが多いようです。できるだけ心をくだき不備のないようにすることは、何も生きている人だけに限られたことではありません。

ご先祖さまや亡き故人にも同様にもてなすことが、お盆の準備に含まれます。
流れていく日常の中、家族で集い、盆棚にお供えものや提灯をしつらえて、命のつながりを確認するお盆。

実際の準備物や仏具の配置は地域の慣習によっても異なりますので、菩提寺へ、ご相談ください。

お盆にご先祖さまがかえってくるの?

お盆は古来からの年中行事として、大切にされています。

仏教伝来以前から、祖霊信仰として行われてきたといわれています。民俗学者の柳田国男によれば日本人には「あの世にいる先祖は山や海に住んで、お盆や正月に子孫の元に帰ってくる」との信仰があったということです。

また太古の日本では「先祖の霊は死後、時間の経過とともに浄化され、やがて氏神になり子孫を守るようになる」との信仰がありました。

のちに仏教が伝来し、そうした日本古来の祖霊観と融合していきました。そして先祖供養が日本における宗教の中心的立場となっていったのです。

こうした祖霊観を基にして、盆の行事は日本の宗教文化として育まれてきました。その根底にあるものを「霊信仰」といいます。

各地の宗教文化の風習などが加わり、宗派による違いなどもありますが、ご先祖さまや故人の霊が帰って来ると考えられています。

また、お盆の風物詩として盆踊りがあります。もともとは平安時代頃から始められた念仏踊り(踊念仏)であり、それがお盆の行事と結びついたといわれています。

曹洞宗においてもこうした古くから伝えられてきた信仰を亡き人と触れ合う大切な行事として営んできています。

お盆の供養は、どのようにすればいいの?

お盆となると、世間では大型連休のような扱いになり、ご家族で国内外の旅行に出かける姿が見受けられます。

元来、お盆は先にも述べたように、亡くなられた方が帰ってこられると捉えられています。こうした考えから、このお盆の時期はできるだけご家族で故郷に帰省して、菩提寺へのお参りやお墓参りをして欲しいものです。

またお盆のご供養は、こうした時期だからこそ祖父母や両親からお盆の風習、その土地の文化を受け継げる大変貴重な機会です。

わが家に伝わるご先祖さまの祀り方、お供えものの作り方や片づけ方、心構えを教わりましょう。またこの行事を子どもに見せながら伝えていくことは、命の教育にもつながります。

先祖を祀る意義や、自分と先祖とのつながりなどいろいろな疑問がわいてくる子ともにとって、それらを教わることが身近な歴史の勉強にもなり、今、自分が生きていることにつながっていると実感し得るのです。

こうした営みを絶えることなく受け継ぎ、次の世代へ伝えていくことが、家庭における仏教の「相承(そうじょう)」となります。家族、親戚とともに先祖や故人を偲び、日頃の感謝を伝え供養して欲しいものです。

お盆中、僧侶が各家を訪問し読経をされる場合は、家族全員が僧侶の後ろに座るのが望ましいです。

お盆の終わりには、地域によって「精霊流し」「灯龍流し」を行う風習もあります。

一仏両祖とは?

「一仏」とは、お釈迦さまのことを指します。また、「両祖」とは、高祖と尊称される道元禅師さま、太祖と尊称される瑩山禅師(けいざんぜんじ)さま、まの曹洞宗にとって欠くことのできないお二人を指すものです。

お釈迦さまが説かれた仏法は、歴代の祖師方の以心伝心によって継承され、道元禅師さまによって日本へともたらされました。そして、この正伝の仏法は、瑩山禅師さまによって日本全国へと展開されたのです。

このことから、曹洞宗ではお釈迦さま、道元禅師さま、瑩山禅師さまを「一仏両祖」として仰ぎ尊ぶのです。

お盆の棚経でご自宅にうかがった際、ご先祖さまのお位牌しか祀られていない仏壇をおみかけします。ご本尊きまとして「一仏両祖」を仏壇に祀ることが望まれます。

お釈迦さまの教えは、祖師方の大慈大悲の心によって相承され、後世へと伝えられました。連綿と教えが伝わってきたことをしっかりと受け止めて、仏法にめぐり逢えたことへ報恩感謝の念を抱きながら日々のおっとめをいたしましょう。

曹洞宗にとって坐禅とはなんですか?

さまざまな修行形態があるなかで、道元禅師さまは坐禅こそがその根幹をなすものと捉えました。「只管打坐(しかんたざ)」との言葉のように、坐禅を中心とした修行生活を門下の人々に説かれたのです。

道元禅師さまが著された『正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)』には、たとえば、『弁道話(べんどうわ)』に〈諸仏如来、ともに妙法を単伝して、阿鰐菩提(あのくぼだい)を証するに、最上無為の妙術あり〉とあるように、坐禅こそがお釈迦さまから伝わる仏法を学ぶ唯一の方法と説かれています。

ただし、ひとくちに坐禅といっても、その捉え方はさまざまです。道元禅師さまは<坐禅は習禅にあらず、大安楽の法門なり。不染汚の修証なり>と「坐禅儀」で説かれているように、仏になろうという目的意識を持つ坐禅を否定されています。

それは、ひたすらに坐禅する姿そのものが仏の姿であり、それが安楽の教えであると捉えたことになります。

そして「坐禅箴(しん)」では<おおよそ仏祖の児孫、かならず坐禅を一大事なりと参学すべし>と述べられ、お釈迦さまや歴代の仏祖の教えを相承する者は坐禅を一番大切なこと?として学びなさいと説かれるのです。

このように、曹洞宗にとって坐禅とは欠くことができない大切な修行なのです。

「正法眼蔵」とはどのようなもの

「正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)」とは、道元禅師さまの代表的著作であり、曹洞宗の
宗典です。その巻数は95巻に及んでいます。

この題名にはお釈迦さまから歴代の祖師方を通して受け継がれた「正しい教法の眼目をあますところなく収蔵したもの」との意味があります。題名からわかるように、本書にはお釈迦さまから相承された仏法が説き示されているのです。

当時の仏教教典の多くは漢文で書かれていましたが、道元禅師さまは和文を用いることでわかりやすく示されています。

各巻に眼を向けるとたとえば「現成公案(げんじょうこあん)」の巻では「仏道をならうというは自己をならうなり」としてひたすら坐禅をする「只管打坐(しかんたざ)」によって、自分自身を探究することが仏道にほかならないことが説かれています。

このほかの巻では、「仏性」の巻、「諸法実相」の巻のような仏教用語を題名とするものや、
「無情説法」の巻、「恁麼(いんも)」の巻のような禅語を題名とする巻があります。これらの巻で、道元禅師さまは数多くの経典の言葉や仏祖の問答などを引用しながら、それぞれの主題の意図するところを示されています。

また、「坐禅儀」の巻では坐禅の作法を説かれ、「洗面」の巻や「洗浄」の巻においては修行生活の営み方を説かれるなど、具体的な実践方法を解説されている巻もあります。

このようにさまざまな主題に対し、道元禅師さまは自らの修行生活を通じて得た境涯に基づいて、説き示されているのです。

ご詠歌とは何ですか?

ご詠歌とは、仏さまのみ教えを旋律にのせてお唱えするものです。

「妙法蓮華経」にも<千万の偈(げ)を以て諸々の如来に歌詠(かえい)したてまつる>とみられるように大切な仏行です。古くより和讃や声明として広く行われていました。

曹洞宗では「梅花流詠賛歌」として、昭和27年に設立されています。そして、梅花流詠讃歌をお唱えする「梅花講」が各地の寺院に設けられ、その数は6400以上にのぼり、講員は約15万人を数えます。それぞれの講では、師範による指導のもと、詠讃歌をお唱えすることはもとより、曹洞宗の正しい教えを学んでいます。たとえば、曹洞宗宗歌でもある「正法御和讃」は次のようです。

花の晨に片頬笑み 雪の夕べに臂を断ち
    代々に伝うる道はしも、余処に比類は荒磯の
       波も得よせむ高岩に かきもつくべき法ならばこそ

この歌は、お釈迦さまから摩訶迦葉尊者(まかかしょうそんじゃ)、そして、達磨さまから慧可さまへと、この上なく尊い教えが歴代祖師を通じて相承され、現在へ伝えられてきたことが詠まれています。お唱えすることでそれを学ぶことができ、さらに法を伝えていただいたことへ報恩感謝することができるのです。

このように、詠讃歌では一仏両祖をお讃えし、また、ご先祖さまを敬う心をもってお唱えするのです。

お唱えすることで心が安らかになるとともにきっと楽しいひとときを過ごすことができるでしょう。

仏壇の祀り方

仏壇の杷り方は大ききゃお位牌の数などにより、異なると思いますが、ここでは基本的な祀り方を示します。

仏壇の中心的存在はご本尊さまです。仏壇の上段中央にお祀りします。曹洞宗の場合、一仏両祖(お釈迦さま・道元禅師さま・瑩山禅師さま)のお像もしくは一仏両祖の掛け軸を掛げます。
ご本尊さまの左右にご先祖さまのお位牌をお祀りします。

古いお位牌は向かって右に、新しいものは左にお祀りします。縁者のお位牌などがある場合には、親類のものは右に、縁者のものは左にお祀りします。

お位牌が多くなり、仏壇が狭くなった場合は「繰り出し位牌」や「合同位牌」にしたり、「繰り出「〇〇家先祖代々」にまとめることができますので、菩提寺にご相談ください。

仏壇中段には供え物を置き、下段には、向かって右よりロウソク立て、香炉、花立ての三具足を置きます。香炉の足が三本の場合には、手前正面に一本の足が来るようにします。

精霊簿(過去帳)は、見やすい位置に置くようにします。鈴(カネ)や経木、数珠などは、下段または引き出しの中に置きます。木魚がある場合は、木魚を向かって右に、鈴を左に置きます。鈴だげの場合は、右に置いてください。

仏壇の中が手狭になったときは、前机を置くとよいでしょう。

参考=うちのお寺は「曹洞宗」の基礎知識

毎日のお供え

仏壇へのお供えは、基本的に香り(線香・お香)、お花、灯明、水、飲食(お霊膳・果物・菓子など)の五つです。

香炉(線香立て)は通常、線香を立てて、下段中央に置かれます。おっとめの時に線香を立てて、ご本尊さまやご先祖さまに手向けます。香炉は灰や燃えかすなどが溜まりますから、定期的にきれいにいたしましょう。

お花も通常下段に置かれます。一対の場合は両側に置きますが、一つの場合は左側に置くようにしましょう。仏壇の大きさにあわせて、季節の花々をお供えしていきたいものです。灯明はロウソクの他に、電球の入った吊り灯龍などが付けられています。

朝、仏壇を開げましたら、灯りを付け、お花のお水を替え、仏壇内を清掃するとよいでしょう。その上で飲食を用意し、お供えしましょう。お茶やお水をお供えする器(茶湯器)は中段に置きます。

中央にご飯(お仏餉(ぶっしょう))を供え、両脇にお茶・お水を供えます。菓子や果物は高杯に盛りつけて、さらに外側に供えます。お仏餉はご飯に限らず、皆さんが召し上がる食事をお供えしてください。そして、お供えしたものは無駄にせず、皆で分けあっていただきましょう。

また、いただきものをしたときや、初ものが手に入ったときなどは、必ず一度、仏壇にお供えするようにいたしましょう。夕方になりましたら、お茶やご飯などを下げて仏壇の扉を閉じましょう。

仏壇の大ききゃ地域により、お供えの仕方も一定ではありませんので菩提寺にて確認するとよいでしょう。

(出典:仏事Q&A 曹洞宗/国書刊行会)

いかがでしょうか。そこが知りたい仏事Q&A(曹洞宗)。

同じ「曹洞宗」であっても地方・地域によっては若干違う部分はあると思います。

その場合は、お近くの菩提寺にご確認ください。

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