京まち歩きと映画の話「北野天満宮と牧野省三氏」
北野天満宮は藤原氏の陰謀により九州大宰府に流された菅原道真が荒ぶる神になり朝廷に祟るとされ、それを鎮護する目的で天歴元年(947年)の平安中期に創建されました。
現在、学問はもとより、芸能の神様としても一般の方に親しまれている菅原道真公をご祭り神とする全国約12,000社の天満宮・天神社の総本社です。
芸能に関しては出雲大社の巫女、出雲阿国が北野社(現在の北野天満宮)において慶長8年に遊女歌舞伎を勧進した事に始まります。
ここから上七軒のお茶屋・四条河原での歌舞伎に進化して行ったと推測致します。
そして江戸時代初期、宝永20年ごろに上方落語草創の一人、元は日蓮宗談義僧であった露の五郎兵衛が還俗して辻咄を創始し、ここ京都北野で始めたのです。北野天満宮境内に記念碑があります。
また、明治期には「映画の父」と言われた牧野省三が北野天満宮の東の通りに自邸を構え、マキノプロダクションはここにありました。今も白壁の土蔵が往時の面影を偲ばせます。
牧野省三は故、長門裕之・津川雅彦の外祖父にあたり津川さんが映画の監督をする際にはマキノ雅彦を名乗るのはそういう血筋だからです。
牧野省三より以前に東京等で劇映画の製作は行われていましたが、牧野の映画には常に新しい工夫が施され、今でも映画やテレビドラマ製作で重要視されている言葉が残されています。
一筋・二抜け・三動作と言う言葉です。
1は脚本です。
脚本が悪ければ良い作品は出来ない。
脚本が良くても良い映画が生まれるとは限らないと言われる程、脚本は重要なのです。
2は写り具合です。
当時はフイルムの質が悪くスタジオの光線の量も安定しない等の諸条件が悪かったから写り具合も重要でした。
今ではキャメラの質も良くなりましたから綺麗に写り過ぎて逆光での撮影では女優さんの顔のぶつぶつが鮮明に見えたりして美しいものが大好きな私にはもっと丁寧に写してあげてよと思う事があります。
3は動作で俳優の演技力や監督の指導です。
こう書くと如何に重要な事が今でも不文律として残っているのがお分かり頂けるでしょう
。
写真は片岡千恵蔵さん主演の昭和31年10月31日公開の東映京都作品『妖蛇の魔殿』の北野天満宮での撮影風景で、古くからある自来也映画です。
参道は今も変わりませんからどのあたりで撮影があったかなと探すのも京都観光の楽しみの一つです。
片岡千恵蔵さんは昭和2年にマキノから嵐長十郎(独立してからは寛寿郎:鞍馬天狗・むっつり右門のシリーズ主演)と同時に映画界に入り大スターになりました。
マキノからスターが大量に排出されプロデューサーとしても牧野省三の手腕も高く評価されています。
戦前・戦後を通じてのここから排出されたスターは、阪東妻三郎、市川右太衛門、月形龍之介、片岡千恵蔵、嵐寛寿郎等がいます。
(北野天満宮 京都府京都市 上京区馬喰町)
文・写真:京都観光おもてなし大使・岡田榮
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