幕末の治安が悪化した京都を守ろうと、近藤勇、土方歳三が中心となって結成された「新選組」。数々あるエピソードは伝説となり京都の地では今も人気スポットとして多くの人が訪れます。
それは、京都の中心部に南部の伏見まで、ファンを魅了すゆかりの地として点在します。
そんな京都の新選組ゆかりの地をご紹介します。
池田屋事件は、新選組を語る上でははずせないエピソードではないでしょうか。
この事件から、新選組は一気に有名になっていきますね。
この時、倒幕を企む志士たちが会合を持つとの情報から二ヶ所に別れ見回りにでます。
隊士の中には風邪などの理由をつけ、参加しなかったなものも多数でたと言われています。
池田屋には、近藤勇をはじめとする沖田総司や永倉新八、藤堂平助など34名で押し入り制圧したとされていて、副長の土方などはあとから合流したようです。
沖田が喀血したり、藤堂が額を割られたりという場面もありますが、無事取り締まります。
この事件により、京都守護職としての新撰組が有名になっていくわけですが、同時に壬生狼と言った恐れを抱かれるようにもなります。
現在の池田屋は、旅籠茶屋池田屋として食事を楽しむために訪れることができます。
ランチのメニュー名や、夜のコースなどにも隊士の名前がついているので選ぶのも楽しいですね。
また、新選組を題材に鬼という要素わ足した人気ゲーム(アニメや舞台も展開)のキャラクターなどとのコラボレーションしたメニューも取り扱いをしているようなので、ぜひ食事を食べに足を向けてみたいですね。
入り口のすぐそばには、きちんと池田屋の石碑もありますので忘れずに、確認してくださいね。
壬生狼といわれる新選組の、始まりの場所に触れてみるのはいかがでしょうか。
もともと浪士として天皇を護るためのという名目で、多くの人たちが京都に上がってきたのですが、そんな人たちが宿所として、始めに寝泊まりしていたのが、壬生村の八木邸です。
江戸に戻るように、という幕府の命令にしたがった多くの浪士と別れ、京都に残ることを選んだ13人の浪士のなかに、沖田や近藤などが今後新撰組の中心となっていく人たちがいました。
彼らが会津藩松平公預りとして、宿にしていた八木邸に新選組という名乗りの札を出したことにより、新選組が誕生することになります。
その八木邸はいまも残っており、一般公開されていて中を見学することができます。
入り口のだんだら模様の垂れ幕から、期待が高まりますが、中は意見が合わず粗暴な振る舞いの多かったとさらる初代局長の芹沢鴨を暗殺したときの刀傷などがしっかりと残っていて、見所が、たくさんあります。
また、ガイドさんもいるので、しっかりと説明してくるますから有意義な時間が過ごせるのではないでしょうか。
邸内の庭にはお茶屋がありますから、のんだりと彼らがみた景色を眺めてみるのも素敵な時間の過ごし方かもしれません。
壬生村の八木邸に訪れたら、すぐそばには、壬生寺があります。
どちらかだけでなく、ぜひ両方を訪れてみるのがよいでしょう。
壬生寺は、八木邸に滞在している間に彼ら新選組が稽古をするために使っていた場所として知られています。
また、一番隊隊長である沖田総司が村の子供たちとよく遊んでいたとも言われている場所です。
隊士たちの中でも、沖田総司は年若かったと言われていますから、京都に出てきた当初はまだまだ遊びたい年だったのかもしれませんね。
また、新撰組みんなで狂言を観賞したり、興行として相撲試合を行ったなどといえおもしろいエピソードもあります。
この時に、寺の池の鯉やすっぽんを料理したなどという話しもあります。
壬生寺のなかの壬生塚といわれる場所には、局長の近藤勇を始めとする多くの隊士の墓も祀られています。局長の近藤勇の胸像も、作られこの寺の境内で見ることができます。
また、毎年池田屋事件があった7月16日には慰霊供養祭も行われているので、この時期に訪れることがあればぜひ足を伸ばして訪れてみるこてをおすすめします。
同好会による、池田屋事件の再現行進なども行われているようですので、新選組好きなら一度は訪れたい場所ですね。
新選組隊士たちも、よく通ったとされる花街といえば、島原ですね。
江戸中頃から、祇園が京都にでき多くの格の高い遊廓はそちらに居を移していったとされています。
ですので、中心地から離れた島原はいくら幕府公認とはいえ、祇園よりは手軽に遊べる場所だったのでしょう。
島原では花街とはいえ、娼妓や芸妓と違い太夫よばれる格式高い地位を持った女性が、お酒の場所で、舞や琴を披露することでもてなしていたとされています。
簡単には身体にさわらせない彼女たちの態度などや置屋のもてなしに、初代局長の芹沢は怒り暴れたというエピソードもあります。
現在も残っていている置屋(芸妓さんたちを呼び、お酒を飲んだりする場所のこと。お茶屋とも言う)の角屋さんは、山南敬介副長と、恋人の太夫の明里があっていたとされている場所です。また、角屋は芹沢鴨の最後の晩餐の場所としても知られています。1863年10月30日角屋で宴会を終えた芹沢鴨は屯所(壬生 八木邸)に帰宅後、暗殺されました。
現在も置屋造りのまま残っており、角屋おもてなし文化美術館として中に入ることができます。12月16日~3月14日と7月19日~9月14日の間および月曜日が休館日です。2階を見学することも可能ですが1日4回の30分説明つき見学で予約制です(当日、空きがあれば予約なしでも見学可能)。そちらには8帖座敷や新撰組の刀キズなど、より価値の高い美術品等を見ることができます。
お問い合わせ:公益財団法人 角屋保存会(電話075-351-0024)
もちろん、芹沢局長が暴れた部屋や、山南さんが使っていたという部屋にも訪れることができます。
その他にも島原にはもう一つ「輪違屋」という元禄年間創業と伝わる置屋もあり古い置屋の遺構としては貴重な建物です。
(特別公開期間以外、内部見学はできません)
島原には、揚屋という芸妓さんたちが普段、お座敷に出るのを待つ場所も残っていますし、太夫さんも数人残っているようです。
<MAP紹介>
池田屋跡
壬生八木邸
壬生寺
島原大門
角屋おもてなし文化美術館
輪違屋
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