うちのお寺は真言宗。と知ったのは、大好きな祖母の葬儀のときでした。自分の菩提寺の宗派など、それまでは、まったく興味の無い事柄でした。
しかし、お葬式や法要など、いざとなると大事なのが、先祖代々から長きに続く菩提寺とのお付き合いです。
核家族が進む現代、うちのお寺は「何宗」なんて知らない人が多くなってきました。今直ぐには必要が無いかもしれませんが、お盆のお参りなどに来られる菩提寺のご住職に、恥を忍んで一度尋ねてみましょう。そのとき少しでも基礎知識を頭の片隅に入れておくことが大切かと思います。
そこで、うちのお寺、浄土宗の基礎知識を調べてみました。
○宗祖法然上人が説いた念仏とは
「念仏」といえば「南無阿弥陀仏」ととなえることを意味します。
しかし多くの経典に示された「念仏」とは、仏さまを念ずること、つまり、心の中に思いいただくことです。
その方法には「観想念仏」と「称名念仏」の2つがあります。
観想念仏は、浄土に住む仏さまの姿形を思い浮かべることです。
称名念仏は、仏さまの名前(名号)を口に出してとなえることです。「口称念仏」ともいわれます。浄土宗でいう念仏はもちろん「南無阿弥陀仏」ととなえる称名念仏です。
法然上人が浄土宗を開く前、平安時代の貴族たちは、観想念仏のための立派な阿弥陀堂に阿弥陀仏をまつって救済を願いました。その代表例が、藤原頼通が建立した平等院鳳凰堂です。
しかし、それは庶民には真似ができないものです。そこで上人は称名念仏を主張したのです。
だれでもできる称名念仏こそが、悩み苦しむすべての人を救いあちという阿弥陀仏の慈悲にかなった正行であるとして、一心に念仏をとなえることを進めました。これが「専修念仏」です。
○浄土宗は阿弥陀仏を本尊とします
仏教の開祖は、古代インドにお生まれになったお釈迦さまです。
お釈迦さまは、教えの主として人々に真理を説き、80歳で入滅しました。「この世に生まれたものは、すべて滅する」という不変の真理を自らの肉体によって示したのです。
経典は、お釈迦さまの弟子たちが師から聞いた教えをまとめたものですが、そのなかの阿弥陀仏誕生の由来を説いた経典が「無量寿経」です。
阿弥陀仏は、すべての人を救いたいと誓願し、はてしなく長い年月をかけて厳しい修行を重ねて仏さまとなったのです。
だれもが悟りを開いて仏さまなれるといっても、煩悩におおわれた私たち凡夫が悟りを開くためには厳しい修行が必要です。お釈迦さまは、すべての人を救うために阿弥陀仏の救いを説いたのです。
だからこそ、浄土宗では阿弥陀仏を本尊としているのです。
○極楽浄土とは
そもそも「浄土」とは、一切の煩悩や汚れを離れた清浄な仏さまの国であり「仏土」ともいわれます。
経典には、いろいろな仏さまがそれぞれに浄土を築き、そこで説法をしていると説かれています。
たとえば、釈迦牟尼仏の「霊山浄土」、大日如来の「密厳浄土」、薬師如来の「東方浄瑠璃世界」などがあります。
そして、阿弥陀仏の浄土を「極楽浄土」といいます。「阿弥陀経」には、西方十万億の仏土の彼方にあり、その国の人々はなんの苦しみもなく、ただ楽しいみだけを受けているので「極楽」と呼ばれています。
○浄土宗は他の宗派とどう違う
浄土宗は「難しい学問や厳しい修行は一切不要。ひたすら念仏をとなえれば、だれもが阿弥陀仏に救われて極楽浄土に往生できる」という教えです。
浄土宗をはじめ、浄土真宗、融通念仏宗、時宗など、念仏をとなえるだけでよいと説く仏教宗派を浄土系と呼び、いずれも阿弥陀仏を本尊とし、よりどころとする経典を「無量寿経」「阿弥陀経」「観無量寿経」の浄土三部経です。
日本の仏教を宗派で分けると、浄土系(浄土宗・浄土真宗)のほかに、密教系(天台宗・真言宗)、禅宗系(臨済宗・曹洞宗)、日蓮系(日蓮宗)の七大宗派となります。
仏教宗派はすべて、お釈迦さまの教えを基本とし、その教えが中国、朝鮮半島を経て6世紀に日本に伝わり、さまざまな宗派に分派しました。
また、お釈迦さまがそれぞれの人にあった説き方をした、「待機説法」をすることも仏教宗派がたくさんできた理由の一つです。
宗祖法然上人は、「選択本願念仏集」のなかで、自らの専修念仏の教えを「浄土門」と呼び、だれもが実践できる易行道であると述べています。
その専修念仏以外の教えは「聖道門」であり、悟りを開くために厳しい修行が必要な難行道であるとしています。
○浄土宗の本山
浄土宗総本山 知恩院(京都市東山区林下町)
浄土宗大本山 増上寺(東京都港区芝公園)
浄土宗大本山 金戒光明寺(京都市左京区黒谷町)
浄土宗大本山 知恩寺(京都市左京区田中門前町)
浄土宗大本山 清浄華院(京都市上京区北之辺町)
浄土宗大本山 善導寺(福岡県久留米市善導寺町)
浄土宗大本山 光明寺(神奈川県鎌倉市材木座)
浄土宗別格本山 善光寺大本願(長野県元善町)
西山浄土宗総本山 光明寺(京都府長岡京市粟生西条ノ内)
浄土西山深草派総本山 誓願寺(京都市中京区新京極桜之町)
浄土宗西山禅林寺派総本山 禅林寺(永観堂・京都市左京区永観堂町)
○仏壇と本尊
仏壇には、亡くなった家族の位牌も安置しますが、原則として本尊が主であり、位牌はあくまでも従という関係にあります。
浄土宗では、家庭の仏壇にも阿弥陀仏を本尊としてまつります。
本尊の阿弥陀仏は、立像でも坐像でもかまいません。像は木像でも、絵像あるいは名号(南無阿弥陀仏)の掛軸でもようでしょう。
仏壇の上段中央の奥にまつります。
本尊だけでも十分ですが、脇掛けとして向かって右に観音菩薩、左に勢至菩薩の像をまつるとなおていねいです。これを「弥陀三尊」といいます。
脇掛の両菩薩に替えて、向かって右に中国浄土教を完成させた善導、左に宗祖法然上人の絵像をまつることもあります。
○仏具と供物
仏壇はさまざまな仏具と供物で飾られます。これを「荘厳」といいます。
伝統的な3段の仏壇では上段中央に本尊をまつり、中段には位牌を安置し、供物をそなえます。
位牌は古いものを向かって右に、新しいものを左にします。
供物の基本は、仏餉(ぶっしょう・ご飯)と茶湯です。仏飯器にご飯をよそって中央向かって右に、茶湯器にお茶やお水を入れて左にそなえます。その両脇に菓子や果物などを高坏にのせてそなえます。また、命日などには精進料理の霊供膳をそなえます。
下段には、基本の仏具である「三具足」を配置します。ロウソクを立てる燭台、線香や抹香を焚く香炉、花を立てる華瓶が三具足です。
三具足は香炉を中心に右に燭台、左に華瓶を置きます。
仏壇の前に経机を置き、数珠、経本、リン、線香立てなどを置きます。そして木魚や伏鉦があれば、経机の右下に置きます。
○日常のおつとめ
毎日行うおつとめは、阿弥陀仏と先祖に感謝の心の証として行います。
おつとめは、朝起きて洗顔を終えたら、仏壇の扉を開き、華瓶の水を替え、仏餉と茶湯をそなえて、ロウソクに火をともして線香に火をつけます。そして合掌礼拝し、経本を両手で持ち、額の高さにいただいてから経本を開いて読経を始めます。
読経を終えたら再び合掌礼拝し、ロウソクを消しておつとめを終えます。仏餉と茶湯は正午までに下げます。夕のおつとめでは仏餉と茶湯はそなえません。
就寝前には仏前に手を合わせて一日の無事を感謝し、仏壇の扉を閉めます。
○合掌礼拝の作法
浄土宗の合掌は「堅実心合掌」といいます。胸の前で両方の手のひらをぴったりとつけて、まっすぐに指を伸ばし、親指以外の指のあいだを閉じて、親指と人差し指のあいだをやや開きます。合掌した両腕は前方に倒し、上体と腕の角度を45度くらいにします。
仏教では、右手は清らかな仏さまの悟りの世界を表し、左手は人間の不浄な迷いの世界を表しているとされます。合掌することは、仏さまと自分が一体になりことを表します。
浄土宗の礼拝の仕方には「上礼」「中礼」「下礼」の3通りがあります。上礼、中礼は僧侶の礼拝で、一般の檀信徒は下礼を覚えたおきましょう。
下礼は、正座や立ったままで行い、お辞儀の角度によって「浅揖(せんゆう)」と「深揖(じんゆう)」があります。
浅揖は、上体を15度くらい前に倒す礼拝で、お経を1つ読むたびに一礼します。
深揖は、上体を45度くらい前に倒す礼拝で、十念のあとに一礼します。
いずれも頭だけさげるのではなく、上体ごと傾けます。
○数珠(念珠)の作法
数珠は宗派によって異なり、浄土宗の檀信徒が日常のおつとめに使うのは、2つの輪を組み合わせた「日課数珠」とよなれる独特のものです。
木魚を打ちながら、片手で念仏の回数をかぞえられるように工夫さてれいます。
日課数珠は、2つの輪を1つに重ねて左手に持ち、合掌礼拝するときには輪を重ねたまま両手の親指にかけて房を手前に垂らします。
読経のときも輪を重ねて左手首にかけておきます。
浄土宗では数珠をかけて両手をすり合わせたり、音を鳴らししません。畳の上などに直接置かないようにしましょう。
宗派を問わない一輪の短念珠などを用いる場合も日課数珠の作法と同様です。
○焼香は何回?
お葬式や法事で最も気になるのが焼香の回数や作法です。
何回行えばいいのか、またどのように抹香をつまみ上げればいいのか、迷ってしまいます。回数や作法は宗派によって違います。
宗 名 | 焼香の回数 | 線香の本数 |
---|---|---|
天台宗 | とくに決まりなし | とくに決まりなし |
真言宗 | 3回 | 3本 |
浄土宗 | ときに決まりなし | とくに決まりなし |
浄土真宗 | 本願寺派1回 大谷派 2回 |
1本を折って横に寝かせる |
曹洞宗 | 2回 | 1本 |
臨済宗 | 1回 | 1本 |
日蓮宗 | 3回 | 1本 |
浄土宗の焼香の回数にはとくに決まりはありません。線香の本数も同様です。
仏・法・僧の三宝に帰依する意味で3回、あるいは身を戒める「戒香」と心を静める「定香」の意味で2回、真心をこめて1回、いずれでもかまいません。
浄土宗では、抹香を軽くひとつまみし、額の高さまで持ち上げて故人の冥福を祈って香炉に入れます。
ただ、参列者の人数や時間の問題で1回の焼香で済ませたほうがよい場合があります。
(出典:うちのお寺は真言宗/双葉社)
いかがでしょうか。浄土宗の一般的な基礎知識です。
同じ「浄土宗」であっても浄土宗各派や地方・地域によっては若干違う部分はあると思います。
その場合は、お近くの菩提寺にご確認ください。