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私の京都散策「源氏物語-光源氏が歩いた都-(2)」を巡って。

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「葵」~「明石」

源氏最大の危機。朱雀帝の即位とともに右大臣家の権勢が強まる。
葵上は男児を出産するも、六条御息所の生霊に取り殺されてしまいます。
葵上との結婚、六条御息所との別離、桐壺帝の崩御など、源氏を取りまく状況は変化します。
政情の不利を悟って下った須磨で、明石君と結ばれます。
一方、京都では不吉な事態が続き、ついに源氏は都に召還。失意の数年はこれからの栄華への序曲となりました。

野宮神社

野宮神社

四条大宮から京福電鉄嵐山本線でレトロな車両を楽しみながら約30分、終点「嵐山駅」下車。足湯温泉もある駅です。

にぎわいある駅を出て天龍寺総門を北へ200mほど北に、西に抜ける小路があります。
ここから西へ5分ほど歩くと、野宮神社があります。

嵯峨には、伊勢神宮に斎宮(斎王)として奉仕する皇女が潔斎所とした野宮の跡と伝承される場所が幾つかあり、野宮神社もその1つです。

源氏物語「賢木」の巻では、伊勢に下る娘とともにここへ籠もった六条御息所のもとへ光源氏が訪れる嵯峨の野宮のモデルとも言われ、縁結びの神様としても有名です。

黒木の鳥居と小柴垣が、源氏の時代を偲ばせます。

野宮神社から西へ3分ほど歩くと、天龍寺の北門があります。

このあたりから300mほどの間が定番の観光名所、深い竹林がつづきます。

野宮神社から5分ほど竹林の中を歩くと、大河内山荘に突き当たります。

俳優大河内伝次郎が昭和6年から約30年もの歳月をかけて造営した山荘と庭園を公開したものです。

山荘の上から嵐山から京都を一望できる別天地です。

ここから、北に向かえば常寂光寺、南へ行けば嵐山中心地となります。

京都市右京区嵯峨野宮町1

写真:京都フリー写真素材

渡 月 橋

渡月橋

渡月橋

明石君は上洛するも、大堰川(桂川)のほとりにある山荘に住みました。

渡月橋の下に流れる桂川は、こ周辺から上流では大堰川・保津川と呼ばれます。

この付近はかっての秦氏による葛野大堰がつくられ、平安時代には貴族の遊覧の地となり、宇多上皇や藤原道長らも舟遊びを楽しみ、多くの和歌にも歌われました。

京福電鉄嵐山本線「嵐山駅」から南へ3分ほどのところです。

(嵐山駅:京都市右京区嵯峨天龍寺造路町)|(渡月橋

「澪標」~「藤裏葉」

冷泉帝(じつは源氏の子)が即位し、源氏は補佐役として政界復帰を果たします。
明石君は女児を出産。藤壺中宮が没し、源氏の青春はひとつの区切りを迎えました。
太政大臣となった源氏は、六条院を造営しゆかりの女性たちを住まわせました。
夕顔の遺児、玉鬘を引き取って後見人となりますが、ときには恋人のように振舞うなど余裕を見せます。
そして明石の姫君が入内。源氏は准太上天皇に任じられ、権勢の頂点を極めます。

清 涼 寺

清涼寺

「嵐山駅」から天龍寺総門を北へ約10分、清涼寺の仁王門に突き当たります。

嵯峨天皇の皇子で「源氏物語」のモデルとされている源融が営んだ山荘栖霞観を、その遺志によって寺(栖霞寺)としたことに始まります。

そののち、宋から帰国した奝然(ちょうねん)が伽藍を整備し、弟子の盛算が栖霞寺の釈迦如来像を安置して、清涼寺と称するようになりました。

本尊の国宝釈迦如来立像は宋から持ち込まれたもので、釈迦37歳の生き姿を刻んでいます。

霊宝館に国宝阿弥陀三尊像や絹本著色十六羅漢図、木造釈迦如来立像など多くの寺宝を収蔵しています。

京都市右京区嵯峨野釈迦道藤ノ木町46
本堂400円、本堂霊宝館共通券700円(4月・5月、10月・11月)

大 覚 寺

大覚寺

清涼寺の仁王門から東へ約5分歩くと、大覚寺の総門跡に出ます。

大覚寺は大沢池を苑地として営まれた、嵯峨天皇の離宮だった嵯峨院で嵯峨天皇の没後、恒寂法親王が開山し寺院となりました。

後嵯峨上皇、亀山法王、後宇多上皇が院政を執ったことから嵯峨御所とも呼ばれます。

「源氏物語」松風の巻では、光源氏が嵯峨野に建立した御堂は、大覚寺の南にあったと記されています。

大沢池

大沢池

また、大沢池周辺は、春の桜、秋の紅葉と美しく、五大堂の東には露台(観月台)がありここから眺める月は、観月の名所でもあります。

京都市右京区嵯峨大沢町4
大人500円、小人(高校生以下)300円

大原野神社

大原野神社

渡月橋を渡り、川沿いを約10分。阪急電車「嵐山」駅があります。

ここから、「桂駅」行きに乗って終点まで。

阪急電車「桂駅」より、阪急バス「南春日町行き」乗車、終点の「南春日町」から山の方へ向って徒歩8分ほど進むと、鳥居があります。

鳥居をくぐり、参道をのぼると大原野神社です。

ここは、「源氏物語」行幸の巻に、冷泉帝の大原野行幸の場面に登場します。

長岡京遷都の際、桓武天皇の皇后・藤原乙牟漏が藤原氏の氏神である奈良春日大社の分霊を祀ったのが起源といわれています。

藤原冬嗣を祖父に持つ文徳天皇が、嘉祥3年、現在地に壮麗な社殿を造営しました。

鯉沢池

鯉沢池

睡蓮が水面を覆う鯉沢池は、奈良の猿沢池を模したものといわれています。

京都市西京区大原野南春日町1152

京都市観光協会へ→( 京都市中京区河原町通三条上ル)

「源氏物語-光源氏が歩いた都-」続きます。

源氏物語-光源氏が歩いた都(1)→
源氏物語-光源氏が歩いた都(3)→

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